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嗚呼、麗しの掃除機バラし~忘却の彼方へ~ 

CIMG0415_20110804144838.jpg
HDDの整理をしていたら数年前に解体した掃除機の画像群が発掘されたのでここに公開したい。

記事トップの画像のプロパティを見てみたら最終更新日が2009年11月15日になっていたので、2年近くに及ぶ放置期間があったわけだ。それはCDラジカセを解体した日から半月経たないうちにこの掃除機に手をかけていた事を意味しており、かつての自分の旺盛な解体欲が見て取れる(しかも撮影した日のうちに編集したらしく、既にいつでもブログにアップできる状態になっていた)(ちょうど卒制が佳境を迎えていた時期だということも付け加えておく)。

さて、件の掃除機だが、どういう理由だったか記憶にないが長年使っていた掃除機がお役御免となり捨てられるところを、オレが「分解したいから!」と渋い顔をする親(埃が舞うのを嫌がっていた)を説得して譲り受けたという経緯があったように思う。

これは、普通に捨てればせいぜい粗大ゴミか不燃ゴミ程度の扱いで済んだものを、時間と手間を惜しまずかえって処理が面倒なゴミへと変貌させる過程を撮影したものである。

なぜ今更そんなものを、なんて思わずに、是非ご覧頂きたい。
ただし今回は画像を見て当時の記憶を辿るという異例の事態となっているので、かつての自分が何を思って撮影していたかまでは正確に記述し切れない事があるだろうから、そこのところは事情を汲んで欲しい。

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近況 

とんでもなく暑い季節になってまいりました。と言ってもまだ6月なんだけど。熊谷で39度8分だっけ?6月の観測史上最高気温だってんだから暑いわけだよ。

暑い暑い言ってばかりもいられないんですよ。学校じゃ節電しろってんで廊下は薄暗いし、地上3階の教室はようやく冷房をいれたところなんだよ。首に濡れタオルを巻いてシャツに汗染みを作りながらせっせと木を削ってますよ。

最近になってようやく物らしい物を作り始めたのでえらく楽しいです。ずっと刃物を研いだり鉋の調整をしたり平面を作るだけの作業を繰り返してきたので、木材を組んでちゃんとした立体物を作れる段階に入ったことが単純に嬉しい。何も考えずに作業に没頭できる。

やればやっただけ失敗するから悔しい思いもするけどそれも含めて楽しいです。成功したと思えることが本当に、何一つないんだけど不思議と楽しいんだよ。それに案外自分が負けず嫌いだということも発見できて一粒で二度美味しい気分。

上手い人の作った物を見て「すげー」とか思いながら同時に「この人にできてオレにできないってのはどういうことなんだよクソが」と本気で思うもの。なんの根拠もないのにすごい上から目線だよね。知ってる。
今までそういう気持ちになっても「他の人のことは気にしない。自分がよければ全てよし」で済ませてきたからこの心境の変化は割と大きいように思う。自分の気持ちをごまかさなくなっただけ人間的に多少はましになれてると思う。負けず嫌いだという自覚がなかった時より自覚のある今の方がよほど自分の感情をコントロールできてる感じがするわ。

ただ、人に対しては不遜な気持ちを抱いても、作る物に対しては謙虚な気持ちで向かわなけりゃならん。ちょっと油断すればまっすぐ切れないし、集中を欠けばノミを手に刺してしまう。自分が何もできないゴミクズ青二才だと自覚して、少しでも確実に制作できるよう細心の注意を払わないといけない。「これでいいや」とか「なんとかなるだろ」という驕った気持ちでいると十中八九失敗する。なんとかなるとか考えて、なんともなってない結果しか残ってねえじゃねえかよってね。

精神論でしかないんだけど、自分の未熟さを認めて謙虚に物と向かい合わないと望む結果なんかでやしないんだよ。いやほんとに。技術は学べても技能は自分で身につけるしかないかんな。あらゆる失敗のパターンをひたすら先読みして避け続ける作業よ。没頭もしますよ。

そこへ来て機械制作の快適性、確実性、スピードはまさに神。何も考えなくてもスイッチを押せば速攻で望んだ形になる。悩む必要なんかない。まったく、自尊心が肥大化するな。

提出用課題が返ってきたので晒しちゃっても構わないだろう 

先日課題のために書いたものをせっかくだから晒してしまおうと思う。大したことは書いてないけど、ブログを時系列で追いかけると自分の考えの変遷をまとめ読みできて便利なので、そういった点から晒すことにした。
具体的な提案とか鋭い指摘とかないよ。個人的な心境の変化に適当な理屈をくっつけてとにかく悲観的にまとめた文章となっております。このブログでならおなじみだな。最後の段落を書きたかっただけなんだよ。
それと提出用だから一人称とか違うかんな。あくまでよそ行き用だかんな。な。


「私は大学時代に柳宗悦の思想に影響されていたのもあり、道具にはブランド力は必要ないと考えていた。
道具そのものの評価は、製作者が誰かということや、どれだけ手間暇かけて作られたかということではなく、生活の中で使用者が実際に道具を使う事によってなされるべきだと考えたからだ。

例えば、どこにでもありそうなデザインのポーチでも、隅に小さなロゴを入れるだけで値段が一気に跳ね上がる。そんな事は道具の価値を形骸化させるだけ無意味なはずなのに、生産者は付加価値を与えることに躍起で消費者はそれに嬉々として集まってくる。生産者と客との間で不毛な馴れ合いを続けているだけではないのかと感じてしまう。

この考え方は、それはそれで間違っているとは思っていない。しかし実際私が手にしているあらゆる製品は必ずどこかに企業名が入っており、それがない物を探すとなると百円ショップで売っているような安全性や衛生面で不安のある、中国産の安い物ばかりになってしまうのもまた事実である。あえてそういった物を選ぶとしたら、デメリットを安さで埋め合わせているだけだろう。

消費者としての立場からすれば安全で、便利で、見た目も良く、なにより安い物こそ欲しくなる。そしてそんなものは生産者の立場からしてみればとんでもない話なのだ。

生産者は、自分の作った物に自信があればこそ他との違いを主張しなければ生き残ることができない。生き残って金銭を得なければ良い物を作ることもできなくなる。では生き残るための手段が、独自性を打ち出す、ブランド化して価値を付与する、といった事であるならば、それを選ばない手はない。

木工製品は樹脂のような汎用性や金属のような強度もない。「木のぬくもり」「自然素材」などといった謳い文句がよく使われる事から分かるように、実用性と趣味性が半々の物と受け取られがちだ。売る方がそうしたイメージを打ち出しているためか、買う方も特別に興味のある人だけがわざわざ選んで買っていて、誰もが何気なく日常品として手に取っているとは言いにくい。

そういった現状から、広告を打つ、木工の良さを知ってもらえるような場を提供するといった、制作以外の活動が大きな意味を帯びてくる。木工製品に興味のない人に対していかにアピールするかが強く要求されているのではないか。それは生産地に啓蒙施設を作るだけでどうにかなるような簡単な問題ではないように私には思える。
どこの誰が作りどれだけの技術を注ぎ込んだのか、そしてそれらの品質を象徴するロゴ。実体のない物を嫌悪したところで、それらを実際に武器にしている産業に対抗する術などないのだ。

民芸運動で賞賛されたような、無名の職人による民衆的工芸品はもはや道具そのものの価値だけで生き残るのは難しいだろう。そもそも柳宗悦がそれらに美的価値を見出し広く世間に知らしめてしまった時点で、彼の言う本来の意味での道具の価値は失われてしまったとも言えるのだから。」

こんなのってないよ 

今日は学校の入学式でした。
この地域では珍しく桜が満開の中での式となり、これはこれで感慨深いものがあった。
式もその後の挨拶も午前中に全て終わったので、その後はさいたま新都心までひとっ走りして2回目のラプンツェル鑑賞と洒落込もうじゃねえかと考えていた。学生証も発行されたから学割きくし。
しかしそんな小さな事などどうでもよくなった。帰宅して数時間が経過した今思い返しても訳がわからん。ワケワカランついでにその顛末を書いてみたい。


式を終えて校舎を後にし、GoogleMapに従い一路新都心へ。向かい風もなんのその、買ったばかりの自転車に乗ってまずは荒川土手沿いまで。行き当たりばったりがモットーなので、GPSはおおまかな方角を確認するだけで、基本的には目視と冴え渡る勘を頼りに突き進むのがオレのジャスティス。
その時も一旦方角を確認しようと見晴らしのいい土手に上がったところだった。今にして思えば、それさえしなければあんな事にはならなかったんだ。
playlistid=5aa.jpg
問題の土手。

土手に上がったオレの後から着いて来る人影が一つ。
「ここってどの辺ですか?」
そいつは出し抜けにそう尋ねてきた。

ピンク色の子供用自転車、紺色のジャンパー、汚れた軍手、首から仮面ライダーの財布を下げた少年がそこにいた。肌が浅黒い。なんだ、この泥だらけの少年は。何よりいかにも染めた風な茶髪が似合ってない。

地元の子供だろうか。小学校低学年くらいに見える。ここがどこかって?去年までのバイトの経験から、このくらいの子供なら迷子になってもおかしくない。ああ、迷ったのかな。そう思った。

とはいえ自分も目的地へは行き当たりばったりでぶらぶらしながら行くつもりだったので、当然ながら土地勘などないので分かりやすい目印だけ教えることにした。
「川越線のすぐ近く辺りだよ」あっちの方に行けばすぐに線路があるから線路沿いに行けば川越市街に出るからね、と告げてオレは颯爽と立ち去る。はずだった。

「お兄さんはどこに行くんですか?」
ん?会話続けるの?いいけどなんで?とは言えず普通に答えてしまう。
「さいたま新都心だよ。君はどこに行くの?」キャッチしたボールは投げ返すよ。
「僕は今探検してるから、親が仕事から帰ってくるまで出かけてんの」
探検か・・・。いいねえ。オレも覚えあるよ。小学生の頃は知らない土地に行くだけで冒険だったな。可愛いじゃないか。
そっかあ、などと適当に相槌を打ちながら二言三言交わす。屈託の無い子だなぁなんて思っていた。

話を聞いていると、どうやら彼はオレがさいたま新都心に行くと言ってもあまりピンときていないようだった。まぁ小学生じゃ行動範囲なんてたかが知れてるし知らなくてもおかしくない。そんなもんだろう。すると何を思ったのか「僕も行きたい」などと言い出した。

いやいや、オレはラプンツェル観たいし、見知らぬ子供を連れて10km以上のサイクリングなんて御免だよ。ましてや彼の帰り道の事も考えると倍の距離だ。そんなもの、承服致しかねます。
しかし彼は距離的にかなりある旨を伝えても「大丈夫」と言う。このくらいの子供って割と自分の体力や知識を盛って話す傾向があるから言葉をそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。
正直困った。どう断念させるか思案していると、人の話しを聞いているのかいないのか「お腹空いた」などと言い出した。

「お昼ごはん食べてないんだよなー。お兄さんはお昼食べた?」
なんというタカリ。会って3分でこれ。訊くとお金は家に置いてきたという。それでどうして探検をしようなどと思ったのか。
しかしこうなってしまっては仕方ない。考えてもみてほしい。周囲に店らしい店などない土手沿いの道にお腹を空かせた少年一人を残して行けるだろうか。どこか近場の適当な店でご飯だけ食べさせてそこでさよならしよう。よし、それだ!いける!

という経緯で初対面の少年とちょっとしたサイクリングをする羽目になった次第でございます。
まぁ結局ちょっとしたサイクリングで済まずにさいたま新都心まで行く結果になったわけだけども。

一緒に走りだしてから彼はこっちが何も訊いてないのに勝手に喋る喋る。今乗ってる自転車は拾ったもので空気を入れて使えるようにしただとか、それ大丈夫なのかという内容の事までべらべらと。
基本的に素直な子なんだが言葉の端々が妙に引っかかる。親の車がアルファードというのを聞いたら、なんか色々事情を察しちゃって考えるのが馬鹿らしくなったが(偏見)。

ひとまず飯だ。ある程度大きな通りに出れば何かしら店があるだろうと踏んで二人で走る。
ところがその店がない。途中見つけたのは「寿司」「焼肉」「ラーメン」そんくらい。
寿司は個人的に夜食べるもんだろうというのがあって却下。高いし。焼肉は論外。彼はその両方をしきりに要求していたが。
残るラーメン屋はどうかと訊いてみると「気分じゃない」とのこと。てめえ誰の金だと思ってんだと喉まで声が出かかるもグッと飲み込む。いやまぁ分かるけどさ。寿司も焼肉もいかにも小学生の「贅沢」のツートップだもんな。しかし100mごとに寿司寿司と連発されると流石に気が滅入りますよ。

面倒だから「今オレは働いてないからお金がないんだよ」とドストレートな一言で遠慮の心を教える。学生だかんな。間違いではない。

途中で休憩を挟みつつ、ゆっくり時間をかけながらなんだかんだで新都心まで着いてしまった。10kmくらいはあったと思う。ゆっくり走っていたとは言え、子供の体力で10kmはよく頑張ったなと素直に感心した。彼に自分が振り回されているのか、それとも逆なのか、とにかくこんなところまで連れてきたのはオレなんだから帰りも責任をもって送り返さなきゃならなくなったわけだ。
確実に彼を明るい時間帯に帰宅させるためには新都心を何時に出発すればいいのか、余裕をもって時間を配分する。厄介なその状況を楽しんでいる自分がいた。

さすがに新都心にも着けば食事処なんざいくらでもありますよ。その中で比較的オレの懐を傷めさせずに、かつ彼を満足させる選択をせねばならん。じゃあマックでっつうことで、金額の上限を設定した上で好きな物を選ばせた。この判断が甘かった事をオレは反省して今後に活かさなければならない。

明らかに頼む量が多すぎる。そんなに食べきれないでしょっつってんのにセットと単品のハンバーガー、シェイク(選べる範囲で一番でかいものを選ぶ周到さ)を注文。金額はともかく自分の胃の大きさを理解してない。
結局ジュースもシェイクも飲みきれず、ポテトは丸々オレが食べることになった。

食べながらずっと気になってたことを訊いてみた。「君は何歳なの?」と。
すると「16・・・いや、14歳です」と彼は答えた。
今お前言い直しただろ、とは言えなかった。口の周りにテリヤキソースをべったべたに付ける14歳がいてたまるか、とも言えなかった。どう控えめに見ても小学生、せいぜい7~10歳がいいところだろう。一度トイレに立った後にもう一度「で、ほんとは何歳なの?」と訊き直しても「だから14歳だよ」と言われてしまった。そこでようやくオレは悟った。なるほどこういう子か。

試しに帰り道のルートを検索する振りをして「君ん家の近くに大きな建物とか分かりやすい物はある?」と尋ねてみると、即座に「〇〇小学校」と答えた。ツメが甘いというかなんというか。なんで年齢なんかで嘘をつく必要があるのか全く分からなかった。

お腹がいっぱいになって人心地がつくとおねだり攻勢が強まる。
「妹がおもちゃを欲しがるかも」
「妹がテリヤキバーガーが好きだからおみやげを買ってあげたい」
「やっぱりプレゼントが必要だよ」
君はお金を持ってないんだよね?と言っても聞いてるのか聞いてないのかはぐらかす。厚かましいなぁと呆れつつ、こういう子供っぽい図々しさを忘れずに成長した大人が美味い汁を吸えるんだろうなぁとか全然関係ないことをぼんやり考えていた。

そのうち要求の仕方も高度になってきて、「今欲しいものがあって、DSが欲しいんだ」と言うので「そのお金は誰が出すの?」と返すと「前のDSなら安いのがあるよ」などと代理案を提案するようになった。買わねえよ、当たり前だろと突っぱねる以外ないにしても、“フリ”でもないのに初対面の人間にどうしてこうも色々要求できるのか純粋に疑問だった。自分が子供の頃、親にすらおねだりする事がほとんどなかったのと比べると別次元の生物にしか見えない。

マックを出てからもとにかく目につくもの全てを欲しがる。特に食べ物に関してすごかった。「あ、たこ焼き売ってるね。食べないの?」「メキシカンドッグだって。美味しそう」「アイスクリームかぁ」「これってドリンクバーついてるの?」。全てオレが金を出すという前提で話を進めて、そうするのが当然という話し方をする。分からん。ナメられてるだけなんか。純朴そうな目ェしてからに。

それから彼が作っているという紙工作を見せてもらった。
張り子の要領で紙を糊で貼りあわせたゴーイングメリー号だった。いつも持ち歩いているそう。

その出来が案外よくできてて感心した。糊でベタベタなんだけど、形自体は小学校低学年にしてはよくやってると思えるレベルだった。その時「新しく作りたいから紙を買って」とまたしてもおねだり。しかしこの場合は金を出す意味はあるんじゃないかと思い、文具売り場に行き最低限の折り紙だけ買ったあげた。どういうわけかスティック糊は自前で持ち歩いていた。

すぐに作りたいというので、地下のフードコートに移動し、客が少ないのを確認してから一角を占拠して二人で工作を始めた。白一色だったものが一気にカラーになっていくのは見た目に変化が大きくて面白い。
工作しながら話をよく聞くと、厳密にはそれはゴーイングメリー号ではなく、彼のペットであるオカメインコのテンちゃんをフィーチャーしたゴーイングテンちゃん号ということだった。

どんなに図々しかろうが厚かましかろうが、子供が何かに熱中してる姿ってのはいいものだなと思いながら眺めていた。放ったらかしにしてオレはオレで絵を描いたりしていたらテンちゃんの顔を作れと言われたので一緒に作ったりもした(この時「なんでこんなことやってるのか」感がピークに)。
PH_30aa.jpg
当初の出発予定時間より35分過ぎてからようやく席を立つ。帰り道はまた長距離になるので出発する前にトイレを済ませ、糊だらけの手を洗わせ、机のゴミを掃除させた。そしてこのタイミングでアイスクリームを買っていた。お前お金は家に置いてきたって最初に言ってなかったか。なんなんだこの子は。

さいたま新都心から彼のテリトリーである志木市まで送る。だいたい10km弱の道のりだ。休み休みえっちらおっちら自転車をこいだものだ。
自転車に乗ってる時はさすがの彼も大人しい。交通ルールは言われたように守るし、狭い道を人とすれ違う時は「すみません」と一言言えるし、基本的にはいい子なはずなんだよなぁ。

今日は面白かったと言う彼は無害な子供そのもの。自分の力で遠出したい、探検したいという気持ちも健全そのものでしょう。なのにあの欲張りようはなんだったんだ。どこまでもそこだけが違和感として残る。

オレが言ったところで説得力も糞もないんだが、別れ際に「あんまり知らない人にほいほい着いて行くのは危ないことだから気を付けなよ」と取ってつけたように言っておいた。無事に帰れてるといいんだが。


あの子は人を疑う事を知らないし物怖じしない。今日みたいな訳の分からない状況を作ったのは結局大人であるオレの責任で、いくらあの子が無遠慮だろうとそれを突っぱねる必要だってあったはずなのよね。荒川の土手で一緒に行きたいと言われた時に「来んなクソガキ!」っつって世間の厳しさ世知辛さを教える務めもあったんじゃないか。

想像だけど、きっとあの子は今までも今日と同じように誰に対しても物怖じせずに話しかけてたんだろうなと思う。今日オレが色々買い与えたことでさらにそれに拍車をかけることになったろうし。
そこで怖くなるのはこれからの事で、あの子、あのままで大丈夫なのかな。初対面のオレに対して「遊びに行くから住所教えてよ」なんて言っちゃうくらい無防備なんだよ。幼稚園児でも「飴くれても知らない人について行っちゃダメ」くらいの事は認識してるよなぁ。それを教えるのは親の仕事だろうか。学校の仕事だろうか。オレが教えるべきことだったんだろうか。

まぁなんにせよ、このご時世オレのやったことは客観的に見れば黒に近いグレーなのは間違いないので、そういう意味でも「不憫な子供を見かけても連れていっちゃダメ」を徹底し、それをやるなら警察に届け出るのが一番の解決法であると肝に銘じるべきである。

消費活動楽しいです 

イヤホンに続き新しくWALKMANを買いました。耳周りの環境が一気に変わりますなぁ。
今まではポータブルCDプレイヤーのWALKMANだったわけだけども、今日からはメモリータイプになります。32GBっつってね、2万円もした。高えよ。

すげえ・・・オレ、今、時代のビッグウェーブに乗ってるよ(一世代前のモデルです)。今なら「ポータブルCDプレイヤー?ああ、あのかさばる奴(ワラ」と鼻で笑えるレベル。元々あのCDプレイヤーの操作感の悪さには辟易していたからな。買ってよかったと思います。

Sシリーズなので上位機種のAシリーズやXシリーズよりはハード的にもソフト的にも性能が下になります。音質だって恐らく劣るでしょう。
でも、いい。もーアレよ、圧縮しないで記録容量の限界まで詰め込みまくるつもりだからそれでよしとする。それでいいという事にして自分をごまかす!そこさえ目をつむればデメリット以上のメリットを得ることができるんだ!そうだ!損得だ!シビアに考えろオレ!

今までずっとCDで聞いてきたので、iPod全盛の時代にあってPCに音源を取り込む習慣がないまま現在に至っている。だもんで手持ちのCDを取り込む作業がすごいことに。今もPCの横にCDがタワー状態になってるよ。
ひとつ懸念しているのは、CD一枚の容量がだいたい700MBだとして、圧縮しないでWALKMANに取り込んだ場合50枚弱くらいしか入らないんじゃないかということ。2枚組のアルバムが恨めしい。こうなると一旦HDDに保存しておいて、必要に応じてWALKMANに出し入れするっていう方法をとらざるをえなくなるわけだ。バリュー感・・・あるのか?

まぁ今までのようにCDを一枚一枚取り替える必要がなくなるから、その点においてはかつてない程快適なミュージックライフをenjoyできるようになるはずだ。そう、限りないsatisfactionをGetting My Way・・・。


CDドライブの質が悪いのか、ものすごい勢いでブンブン唸ってるんだが大丈夫なのかこれ。こんなんで正確にコピーできんのかね。
ノートPCのCDドライブって交換できんのかな。できたとしてもどうせまた純正品しか対応品はないですー保証はしないですよーとか言われるだろうからやらないけど。


今夜は久しぶりにバイクをぶんぶん乗り回してる人々が大量に湧いているようで外がえらく賑やかです。ああいう人達も騒音をぶちまけたり人に迷惑かけたりしないで地域にお金を落としてくれれば個人的には走り回ってくれても全然構いません。
どうやらそんな聞き分けのいい人達じゃなさそうなので、おまわりさんどうぞやっちゃってください。おかげで我々市民は安心して眠れます。

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