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この雨の少なさは米不足フラグなんじゃないか 

梅雨なのに全然雨が降らなくてなんだか張り合いがない。降ったら降ったで鬱陶しいけど降らなかったら降らなかったで淋しい気もする。つうか農家の方々が戦々恐々としてるんじゃないかといらぬ心配をしちゃうから梅雨時にはしっかり降って欲しい。パンより米派です。


製作中だった財布を完成直前になってやり直しております。理由は簡単。粗が目立ったから。

おばあちゃんに譲ってもらったミシンが壊れて使えなかったことで手縫いでやる羽目になったまでは別にそれほど苦痛でもなかったんだけど、いざ形にしてみたら想像以上に縫い目の適当さが目に付いて、「あ、これは毎日触ってたら遅かれ早かれ捨てたくなるわ」と感じたので、急遽アマゾン先生にコンパクトミシンを買いたいんです、それさえあれば私は幸せになれるんですどうかどうかお願いですと失禁しながら泣きついた次第。

コンパクトミシンを買うなら普通のミシンを買った方が結果的に幸せになれるという意見ももらったのだけど、ミシンって普通に買うとベラボーに高いじゃない。オレはあくまでもリーズナブルに済ませたいのよ。で、中古で買えないかなと思ってネットで情報を集めてたら、法改正だかなんだか知らんが中古のミシンって売り買いしちゃいけないみたいな話が散見された上に(たぶんPSEマーク関連の話なんじゃないかと思う)、「中古ミシンなんてリスキーだからやめとけ」という半分脅しのような文章を読んだせいで完全に疑心暗鬼モードに陥っちゃってね。そんなオレに残された道はただ一つ、すなわちコンパクトミシンを買うという安物買いの銭失いそのものの愚行である。

まぁ選ぶからにはデザインとか最低限の機能だって求めたいしそれなりに調べましたよ。それで買ったのがこちら↓

コンパクト電動ミシン sewD`Lite JA525

「色と名前がなんとなくジェットアローンっぽい!買った!」と思ったとか思わなかったとか。
アマゾンなどのレビューを読んでも、他の商品と比較までして書いてる人はいないのでいまいち要領を得ず、主婦の書いたレビューなんてまるで役に立たないという偏見ばかり逞しくする結果にしかならなかった。じゃあなんでそれを選んだんだと聞かれれば、それはもう、ジェットアローン・・・だよ。

で、今は商品が到着するのを待っているところなのです。アニメ観ながら。
型紙の手直し、細部の変更、生地と糸の色味を合わせる(普通は一番最初にやる事である)などの作業はだいたい済んでいるので、もう単純に機材待ちですかね。おおまかなデザインは変更せず、流用できるパーツは流用し、作り直す部分はしっかり作り直す。それをやるだけで結構変わるんじゃないかな。基本的に裁縫なんて門外漢だし、身近なところで裁縫が得意な人がいないもんだからトライ&エラーで突き進むしかないっていうね。無駄は多いが得るものはある。この途中経過が楽しい。


あと全然話変わるけど、ここ最近MP3プレイヤーが欲しいなと思って色々探してんのよ。
CDプレイヤー原理主義者のオレが突然の心変わり。その心は?持ち運びが楽だということ。やりようによっては音質はそこまで劣化しないということ。それももちろんある。
しかしそれ以上にオレがMP3を欲しがる理由は、今使っているプレイヤーがあまりにもウンコすぎてこれ以上使い続けるのが辛いからだ。そうだよSONYだよ!泣く子も黙るWALKMANだ!それをクソだと言っている。
もちろん今使っているものへの不満は今に始まったわけではない。購入当初から感じていたことを2年近く経過した今再び蒸し返しているのだ。ほんとにもう、自分でも驚くほど根が暗い・・・。それでもなお伝えたいこの気持ち。この蓄積された思いの丈(ストレス)を受け取るがいいSONYよ・・・!オレはポータブルCDプレイヤーを使うのをやめるぞぉォオ!!!!

ということで色々MP3プレイヤーを探しているのですが、候補の中にはWALKMANがしれっと入っていたりします。
なんだかんだで日本の電化製品のオーバークオリティっぷりは目を見張るものがありますよ。あとは日本に支社のあるアジア系企業もこの手の分野では全然悪くないと思う。むしろ国内より活気があったりね。
今気になってるのはiriverのE30 MATTEっていう奴でね。実際にモックなり実機なりを触ってみないと判断できないけど、写真で見る限りではとても好みですよ。
なんでもそうだけど、過剰に装飾するのは嫌いなんだよ。最近のSONYがずっとそういう方針でデザインしてるのが気になってしょうがないんだ。もっと静かなデザインにしてくださいって思ってたところにこういう物を見つけちゃったら気持ちもクラクラきちゃいますよ。気になるのは容量が最大8Gだってところかな。
まぁ他にも面白いものがないか探してみますよ。


今年に入ってからというもの加速度的に記事数が減っているので、今月は先月より多く書くことを意識することにする。財布が完成すればその報告も書けるしな。なんだかんだである程度まとめて書くのは面白いわけだし。
しかしまぁブログを更新しようがしまいがウジ虫のごとく湧いてくるファッキンスパムは一体どうしたらいいんだ。

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ジーザズクライストですよ 

先日本屋で、死んだ動物が腐っていく様子を定点撮影したという趣味的な写真集を立ち読みしたのだけど、腐る過程では虫が湧くだけでなく死肉を求めて様々な動物が集まってくるらしい。猛禽類やネズミならまだしも、タヌキやイタチまで寄ってくるとは思ってなかったので驚いた。

それにしても腐った肉でも奪い合うように食べている様子を見るとよほど美味いのかなんて思ってしまう。考えてみれば人間だって口にしてる物のほとんどは死んだ生き物だし、見た目のグロさを除けば腐りかけの肉も美味いのかも知れん。死肉を漁るというといかにも獣じみた行為に聞こえるため、秩序の中に生きる人間のやることではないと思われがちだが、実際は人も動物もやっていることに大した差はない。それどころか人間は死肉の食べ方について最も労力を費やしている生き物だとも言える。塩漬けなんてさ、ハラワタ抜いて塩漬けにして水分を抜いて乾燥させてなんつってね、エジプトのミイラと作り方がそっくりなのが面白いよね。干物は美味しい死骸だよ。

人間は自らを動物とは一線を画す特別な存在だというためだけにあらゆる事柄に対してルールを作った。その中でも特に本能的な行為に関してはタブー視して見て見ぬ振りをするか(トイレなんて超狭い空間な上に完全な密室だしね)、厳格にマナーを取り決めてガチガチに縛りつけてきた。フランス料理なんて皿の上のアートとまで呼ばれる始末。それはそれとしてキレイなんだけど、動物を食べているという意識は大分希薄になるよね。むしろそれを隠すようにして視覚的な美しさと味の複雑さを求めたのだから、フランス料理は人間のための食べ物=料理の一つの到達点とも言えるわな。

個人的には今のところ肉も植物もなんでも食べればいいじゃないというスタンスでいるつもり。ただ世の中にはベジタリアンっつう肉を食べないことを信条とする人もいるじゃない。彼らのいまいち理解しがたいところは、体質的に油や肉を受け付けないならまだしも、動物の命を奪ってまで自分が生きながらえるのが耐えられないとかいう訳の分からない理屈に縛られてるところ。好きに食えよって言ってやりたいけど宗教だから仕方ないのかね。

ただまぁ彼らに対して一番言いたいのは、テメー自分を特別だとか思ってんじゃねえぞ、ということ。神の似姿だからっつって、最後に作られた生き物だからっつって、人間を特別視し獣ではないと言い、更に動物的なものと決別するためにルールを作り、挙句その動物を守るのは自分達人間の使命だとか言い出す面の皮の厚さは一体なんなんだと。生きとし生けるものは全て神の持ち物だから人間が勝手に殺してはいけないと言う方がまだ理解できる。キリスト教思想に基づいた価値観のなんと面倒なことよ。死肉食えよ死肉。人間的な尊厳ってなんだそりゃ。インデリジェントデザイン(笑)。

【新年早々】携 帯 電 話 紛 失【縁起が悪い】 

もぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
冗談じゃないよホントにもぉぉおおおおぉおおおぉぉ

いつの間にかケータイが旅に出ていた。購入してからもうすぐ一周年っていうタイミングでこれだよ。新年早々天からビッグサプライズを贈られた。ファッキン神様仏様。

31日に荒川へ夕日を撮影しに行った時には間違いなくあったんだよ。日没時間を確認しながら撮影してたからよく覚えてる。問題はそこから先、家に帰ってきてからモコの散歩に行くときにどこに置いたのかという事だ。写真撮影から帰宅する時に道端に落としたという可能性も捨てきれないので今日探しに行きましたよ。まぁ今こうしてケータイが手元にないって事はどこにも落としてなかったって事なんですが。

家の中にあるなら、電話するなりメールを送るなりすればバイブの振動音で気付けそうなもの。
ところがメールをしてもウンともスンとも言わない。電話をしても繋がらない。これはひょっとしたら電源が入っていないのでは・・・。

電源が入っていない原因として考えられるのは、単純にバッテリー切れか、あるいはどこかで誰かが電源を切ったか、その二択になる。しかし家のどこかにケータイがあるとして、家族がわざわざ電源を切ってまでオレのケータイの存在を隠蔽するだろうか。そんなに家族と仲が悪いわけでもないんだが。陰湿すぎやしないか。いくらなんでもさすがにそれは有り得ない。

残るはバッテリーが切れてしまって繋がらないという可能性。
しかしこれだと本格的に困ってしまう。誰かが意図的に電源を切ったとするなら、電源さえ入ればアラームなどで音が鳴るチャンスも出てくるわけで発見の可能性がゼロではなくなる。バッテリーが切れているのならば、そのわずかな望みすら完全に絶たれてしまうのである。

何かの間違いで屋外のどこかに落としてきた事を考え、一応サポートセンターに連絡し電波を停止する手続きを済ませた。サポセンの人は元日から働いてるんだな・・・。ありがたいことです。


実際W63Hを一年近く使ってきた感想としては、まぁまぁ不満の多い機種でしたよ。
特にソフト面ではかなりイライラさせられた。周囲にケータイにまつわる文句も結構こぼしていた。
それでもそれなりの期間を共に過ごして見直したところもたくさんあるんだ。

バッテリーカバーの設計の絶妙さにはエンジニアの拘りと努力の跡が見えた。
キーボードのデザインは、見た目に派手さがなく主張はしないがすっきりとしていて見やすく、操作性も良くてインターフェイスとして非常に満足していた。
購入当初は中途半端に感じていた本体の厚さも、使い込むにつれオレの手には丁度いい大きさだった事を次第に理解できるようになった。じっくり付き合ってみて初めて理解した部分の多い機種だったと思う。
それだけに今回の紛失が痛い。少なくとも2年間に及ぶ分割払いが終了するまでは使い倒そうと思っていたのに。メールアドレスや写真などのデータの喪失というより、ケータイとの関係の危機という面で非常に困惑している。まだまだ使っていたかったんだ。なのになんでこんな事に。

ひとまず今のオレにできること。
①考えうる限りの場所の捜索。
②明朝のアラームを聞き逃さないこと(朝7時にセットしてあるので、バッテリーが生きていればどこかで音がなる、はず)。
③初夢の内容を「ケータイ発見」にするべく自己暗示をして床に就くこと


最後になりましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

正月早々こんだけテンションがだだ下がりになってる時点で、今年は去年より更に一層不吉なことが起きる予感がしてなりません。今年は年男なんだぞ。24歳にもなるってのにケータイ一つでガタガタ言ってるってのも考えようによっちゃ相当アレだな。

見えるかどうかが問題ではない 

自分自身の経験の中では幽霊と遭遇したり接触したりという事は幸いにしてないわけだが、その存在自体は昔から世界中で示唆されている。
出会ったことがないから幽霊と呼ばれるものが死んだ人間の成れの果てかどうかもよく知らん。そんな事はどうでもいい。でもそれらしいものはいてもおかしくないんじゃないかなという気はしている。

そういうものが見えるか見えないかは伝統的に体質によると言われていて、そのせいで見えない人からはこれでもかって勢いで批判される。オレだって見えないし触れない。でも幽霊をいわゆるクオリアの一種だと考えれば十分理解できるんじゃないかとも思えるんだよね。

クオリアってのはアレだよ、自分が見ている「赤」という色は他人から見た「赤」と同じ色なんだろうかってアレだ。両者にとっての身体的な個人差というものがあるからお互いの見ている色を比較することができれば恐らく違う色で捉えているのかも知れないけど、個人差があるから日常生活には何も影響を及ぼさないないんですよ、と。そして両者の見ている大元の色、そのものの本質がクオリアである、と。クオリアは色だけじゃなく、ものの質感にしてもそうだし、痛みの感覚や匂いにも同様で、基本的に人の感覚で知覚できるものは全てクオリアだ。

この考え方をそのまま幽霊に当てはめるとするよ。つまりクオリアとしての幽霊は確かに存在はしているけども、それを観測する人はそれぞれ個人差があるから見え方に違いがあって、強くはっきり見える人、曖昧にぼんやりとしか見えない人、あるいは全く見えない人というのも当然あったりするんじゃないか。暴論に聞こえるけど、各人の差は主観的なものでしかないので比較はできないし、クオリアそのものを証明する手段もないから広げた風呂敷を畳む手段もないのよね。

人に知覚できない感覚、例えば超音波は、オシロスコープを使って波長として捉えることで人間にも認識可能なものになる。赤外線や紫外線もそれぞれ観測の方法がある。ウイルスのような人の目に見えないくらい小さなものでも顕微鏡を使えば見ることができる。人間は様々な機器を使うことで、自らの機能を拡張し、本来捉えることのできない世界を間接的に知ることができるようになったが、それは決してクオリアを知ったわけではなく、あくまでも対象を認識可能な状態に変換しただけだ。

この構図、何かに似てませんか。そうです。心霊写真に似てるんです。
本来そこに写っちゃいけないものが写っている、体の一部が移動してるなどなど、様々なパターンがあるけれど、共通するのは幽霊が見えない人にも等しくそれを見ることができてしまうという点。心霊写真を撮るための装置にはアナログ一眼レフやビデオカメラ、最近では監視カメラやケータイのカメラというのも挙げられているそうです。カメラに内蔵された何かしらの機構が幽霊を捉えるのに適している、というのは言うまでもないわな。それくらいの認識は、心霊写真を知っている人なら(それを信じる信じないに関わらず)当たり前に持っていると言ってもいいくらいの常識だと思う。

なのに純粋に幽霊を観測するためだけのカメラを研究する人がまるでいないというのは一体どういうことなんだろうか。あるのはせいぜい「幽霊があわられた時の磁場の乱れを観測する装置」だとか、ただ単に電磁波を幽霊と言い張ってる程度のものだ。幽霊は何かしらのエネルギー体だ、という主張からそういう装置を考案するんだろうが、そんなものに頼るより、これまで数々の実績をあげているカメラについて徹底的に研究する方が目的に到達するには一番の近道になるんじゃないかと思う。何故それをしないのか。この辺のおかしさこそ、テレビや心霊系の雑誌に胡散臭さを感じる最大の理由だ。ガチの奴がおらず、商売の匂いしかいしないんだ。そういう特集の怪しげな雰囲気を楽しむという面は別腹として大好物なんだが。

ガチで幽霊を研究するイカレポンチがいるならまずカメラを開発すべきだと思う。確実に幽霊を撮影できるカメラを開発しさえすれば幽霊の存在の信憑性どころか、その存在を証明する唯一の手段にだってなりかねないぞ。
宇宙に満ちるダークマターだって、存在を予言されてはいても観測すらできないものの存在を世界中の科学者が信じているんだから、幽霊の一つや二つさくっと撮影してみせてほしいもんだ。そんでもって幽霊の駆除方法を開発してくんねえかな。ゴーストバスターズはキリスト教専門っぽいし日本仕様の独自規格が欲しいところだね。

いきなりパンクすんなよおおおお 

自転車のタイヤに釘が刺さる確率ってどんなもんよ?畜生これで2度目だ。

ママチャリの細くて丸いゴムタイヤに、たまたま道端に落ちてた釘が刺さっちゃう意味が分からない。釘を下敷きにする過程で正確に体重をかけなければ刺さらないんじゃないか。アスファルトなんて長年の酷使によって微妙に凹凸がついているわけだし刺さりにくい条件が揃い踏みのように思える。

そもそも釘が先端を上に向けて立っている状態からして特殊だろ。工事現場でもない住宅地の道端にそんな釘が落ちている事がまずおかしいし、そしてそれをしっかり踏んじゃうオレもどうかしてる。

こんな条件が自然と満たされた事の方がよほど不思議だ。その不思議を23年の人生のうちに2度も経験した。結構な頻度と言えるんじゃないか。

こういう人間が一人でも存在するということは、全国規模で見渡せば似たような境遇の人がまだまだいると考えていいはずである。となると、これは不思議でもなんでもなくて、日常的に起こり得る当たり前の現象だということになる。

しかし不自然ではないか。偶然性が高いはずの現象がこうも頻繁に起きるとは考えにくい。むしろこの現象を引き起こしている“何か”の存在を示唆しているとは考えられないだろうか。

“何か”とは?その目的は?姿さえ見せない彼らの存在を感じられるのは、釘がタイヤを貫いたその瞬間だけだ。
善良な市民を混乱に陥れる邪悪で卑劣な意志だけが彼らの存在を不気味に主張している。

事態は一刻の猶予もない段階に入っている。我々は知らぬ間に監視され、その存在にすら気づかずに刈り取られ続ける運命にあるのだろうか。

偶然を装い、虎視眈々とママチャリのタイヤを狙う不気味な黒い影――。
次に狙われるのは、アナタかも知れない。



飽きた。
近所の自転車屋さんがなくなったのでパンク直しに行くのも億劫だなぁ。誰か早くパンクしないタイヤ作れよ。

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