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 2007年10月 

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支離滅裂も大概に(ry 

昨日はオレの誕生日だったわけですが、そんな日に限ってチャリを盗まれるという目に遭う自分の運のなさが情けないです。何が悲しくって誕生日に交番の世話にならにゃならんのだ。
しかも今日になって「え?台風来てんの?」とか言ってるオレってマジでどうなのよ。今夜中にどっか行くってね台風。なんなんだ一体。

丸々20年を無事に過ごしてこれたことにまず感謝(多少のイレギュラーはあるが)。
記念に何かしようかと思ったけど、何かと締め切りがあるのでそうそう遊んでばかりもいられないという罠。
初音ミク人気にあやかって銀行ATMの機械音声の案内嬢を調べて色々比較でもしようかと思ったけどいまいちめんどくさいのでまたの機会にします。

歳を重ねたからといって特にこれと言った感慨があるわけではなく、まったくもっていつも通りな日を過ごしました。あまりにも普通すぎるから交番で「実は今日オレの誕生日なんですよ」なんて言葉が喉まで出掛かった。今思えば言わないでよかった。言う必要もまったくないし。そんなタイミングが少しでもあると思った自分が恥ずかしい。


こないだも書いたけど、やっぱり何も変わらないな。多少年齢を重ねたところで大した変化なんかないや。
なので唐突だが今日は「人見知り」という部分にスポットライトを当てたい。それは昔からオレを縛り続けているものだから。変化を拒む自分の根幹だから。

ちょっと思ったんだけど、人見知りのそもそもの原因は他人との接触を拒む自分にあるけど、その感情の向く先は二つに分かれると思う。
それは、他人を恐れ自分のテリトリーに入れたくないと思う心と、相手のテリトリー内に無遠慮に立ち入っていいのかという心だ。

人と繋がりを持つことは、自分が傷つくリスクを常に背負うことを意味する。
傷つくのが怖いから話さない。話さなければ何も変化しない。変化しなければ今の平安は保たれる。だから、近づかない。
他人が怖いというより自分可愛さに人を拒絶する。これぞまさしくATフィールド。絶対恐怖領域。

この「人の領域」という話は、例えば親しい人が他の誰かと喋っているときに間に割って入っていいのかという話と根は同じだと思う。

相手への配慮といえば聞こえはいいが、それは大抵の場合が詭弁だ。他人への恐れからくる気後れというのがより正解に近いと思う。どんなに親しくても、常にどこかで他人であることを意識している。それはたとえ家族であろうと同じことだ。
なんだってこんなに人が怖いのか、その理由はハッキリしない。
ただある一定のラインさえ超えれば振る舞いにぎこちなさがなくなることは確かで、それはその人への恐れが薄れたことを意味する。

相手が誰であろうと時間の経過とともに馴染んでしまえば別段問題ないわけだ。基本的なコミュニケーション能力が欠けているわけではなく、心の中では人とのつながりを欲しているのだ。
要は自らきっかけを作れない人が人見知りになってしまうということなのだろう。

自分の中に閉じこもろうとする心と、人と触れ合いたいと思う心。この相反する感情が複雑に絡み合い、人見知りというものを形作っているように思う。

これを本当に自分の感覚だけで言ってしまうと、閉じこもりたい心と人と触れ合いたい心はほとんど同じなんだよな。なんて表現したらいいのか分からないけど、理解できるはずのない他人というものを理解したいと思うのと似てるよ。
結局はないものねだりにすぎないんだ。自分の中に欠けてる何かをどこかに求めてるだけ。それを自分の想定外の存在である他者という恐ろしい存在を通した結果、人見知りというねじまがった形となって表面に現れてくる感じ。

そしてこれは今でも直る気配が全くありません。傷つくリスクを冒せない小心者ですけど、これからもどうぞよろしく。と、突然の挨拶をしてみる。


ああもう何言ってるのか分からないや。寝る。

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蚊の話 

オレのヘッドホンの寿命が近い。なんということでしょう。早すぎだろ。家で使ってる奴は頻繁にノイズが混じり、外で使ってる奴は右側だけしか鳴らなくなってしまった。2台同時に死亡とかどんなイジメですか。
修理だそうかなぁ。保証まだ効いたっけなぁ・・・。
様子を見ながらなだめすかして使おう。安い買い物じゃないしなぁ・・・。


オレの部屋には季節を問わず一匹の蚊が住んでいる。
住んでいると言ってもただいるわけではない。
何度殺しても現れるのだ。

オレの目の前に現れるのは決まって一匹。複数の蚊が出てくることは決してない。
その一匹を殺すと数分後には別の蚊が現れるっていう。これを何度も繰り返すのだけどやはり一度に何匹も蚊を見る事はないのな。
その上この蚊達は血を吸わない。だからこれといった害はないのだけど、一年中耳元で飛ばれるのもいい加減鬱陶しいので情け容赦なく叩き潰すことにしている。

オスの蚊が血を吸わないことは知っている。それに確かオスは越冬するはずだ。ということはオレの部屋にいる蚊はオスである可能性が高い。そう考えればオレの部屋に一年中蚊がいることの説明がつく。しかしオスの蚊ばかり集まっているのは少し不自然ではないだろうか。
そもそもそれは一匹ずつ現れることの理由にはならない。ちょっとしたホラーだよ。

幸いオレにはいわゆる霊的なものを見る力はないためこの現象も楽観して対処している。これがもしとんでもない悪霊の仕業とかだったりしたら夜も眠れんわ。
ただ不気味なことには変わりないので、何かの神様がイタズラしてるんだと思い込むことにしてる。八百万の神様がいるらしいからね、日本には。

こうしている今も蚊はオレの周りをふわふわ飛んでいるんだよね。
こいつはオレを守ってくれているのか。それとも監視しているのか。寝てるときに耳元に来たらブッ殺すぞ。
いっそ監視されてても構わないからさ、オレの部屋に美少女の神様がやってくるような文字通りの神展開とかないかな。で、何か願い事はないかと問われオレは「君のような女神に、ずっとそばにいてほしい」と答えるわけだよ。完全にベルダンディーですね。本当にありがとうございました。
まぁ欲を言えばオレ的にはスクルドの方が(ry
いやいやペイオースだって全然いけ(ry

ご飯をメシと呼ぶのが好き 

家に帰ってきたらどういうわけか敷布団が新しくなってました。
滅多なことじゃないので嬉しいっちゃ嬉しいんだけど、今まで使ってた布団が突然なくなってしまったことが少し寂しくもあります。


最近の食欲はやっぱり異常だよ。食べすぎだな。またこんな話で申し訳ないのだけど。
どうしたら抑えられるんだろう。体に負担かかるし太るから嫌なんだけどな。でもお腹が空くから食べてしまうっていう。ああもうどうすればいいのかね。

無理して食べないでいるのも嫌なんだ。基本的に食欲の虫だし。
一日三食の原則はキチンと守ってるけど、一度に食べる量があからさまに増えてるもんだから始末に負えない。
何食べても美味しいから食べちゃうんだよ。白いご飯とあったかい緑茶だけで満ち足りるよ。うん。お茶碗で三杯くらい食べるけど。あとキノコを適当にごちゃっと入れた味噌汁とかあったらよろしいかと。おかずはなんでもよござんす。
有り得ないくらい和食が美味い。そんな季節なんだな。

ところで混ぜご飯に紅生姜を乗せるのってウチだけなんだろうか。オレはこれが物凄く好きで、混ぜご飯の時は紅生姜がないと不機嫌になります。ご飯の上にこれでもかってくらいテンコ盛りにするのが好き。
そういう食事のトッピングって家や地域によってまちまちらしいから他所の家ではどうなんだろうと気になることがある。
別に気にしたところで何があるわけでもないのにね。変だね。

味覚に自信は一切ない。
自信がないということに自信を持ってるくらい。
そんなオレが美味いと思う食べ方をどこか他所でやったときにドン引きされやしないかと不安になったりする。小心者なんでね。
そんなしないでもいい心配をせずにすむ方法はないのか。そのためには人がどんな食べ方をしているかをしっかり観察する必要があるわけだがそれはそれで状況が限られてくる。

自宅以外の場所で混ぜご飯に紅生姜を載せるようなシチュエーションになったことがないので、この疑問の答えを聞く機会も今のところないのだけど、基本的に食べ方はみんな変わらないようだ。ひょっとしたら家に帰ってから自分だけの食べ方で食べ直してるのかも知れないけど。

別に人がどう食べていようがオレは混ぜご飯に紅生姜を載せ続けるけどな。それが美味しいと思うんだもん。美味しいと思う食べ方ができて満足な食事をとることができればそれでいいじゃないかと思う。うん。ああ結局他人の目なんて関係ないじゃないか。

常軌を逸した食べ方をしなければ食べ方なんか何してもいいって事なのかな。
なんにせよ自由度は広いはずだよね。


つうかどうしたら余計に食べないで済むのかって話をしてたのにいつの間にか飯の話がメインになっちゃってるよ。いかんいかん。

そうそう、ちょっと気になってたんだけど「ご飯」と「メシ」っていう呼び方をオレはどうやって使い分けているんだろうということを考えてて、これもいまいち切れ味の良い結論が出ないままなんだよね。

どういうことかというと、オレは普段「お昼ご飯」のことを「昼メシ」や「メシ」と呼んでいるのだけど、それが「朝ご飯」になると「朝ご飯」で、「晩ご飯」だと「晩メシ」「晩ご飯」と奇妙な変化をする。
食事そのものは単に「メシ」と呼ぶのに、親に献立を聞くときは「今日の晩ご飯なに?」となる。

また米を炊いた「ご飯」は「メシ」ではなく普通に「ご飯」なんだよね。
一体何を境にして使い分けているのかさっぱり分からん。ただの習慣というには不規則すぎないか?


あーーあーー

寝ます。

さすがにこれには驚いた 

平野綾のチケットが発売開始から30分で完売してやんの。
10時半に行ったらもうないって。

日芸にはどんだけアニオタがいるんだよ!
こんなところで行動力発揮してどうする!

電車内で人間観察(のぞきじゃないよ) 

今日武蔵野線車内で物凄い光景に出くわしました。

帰宅ラッシュの時間帯で満員電車だったのだけど、乗り込んできた高校生カップルが身動きがとれない状態にも関わらずお互いに咥えていたチュッパチャップスを交換し始めたんだよ!

こんなことをいちいちブログに書いてるオレも相当アレだけど、公衆の面前ってレベルじゃない状況下でそんな恥ずかしいことをする高校生もどうかと思うんだよ。
一見二人とも真面目そうに見えたから余計に驚いた。
チュッパチャップスを交換し終えた二人の表情の幸せそうな事と言ったらなかったね。真後ろにハゲのおっさんがいる状況でよくやるよ。
あの時の二人からは容赦なくハートマークが出まくってたね。オレにはそれがよ~~く見えた。

どうもこの時間帯はどこに行っても少し頭のネジが緩んだカップルがいるみたい。
いつだったか埼京線のホームのベンチで今にも一線交えそうな勢いの若いカップルがいたんだが、あれはもうオレからしてみりゃ常軌を逸していたね。理解が及ばないとかそういう次元の話じゃない。家でやれよと。ホームってそういう意味じゃねえんだよと。

電車内ってホントにネタの宝庫だなと思うのですよ。
いかにも優等生然とした10歳くらいの男の子がおもむろに鼻をほじりだしたり(両穴、しかもかなり深くまで)、特に混んでいるわけでもないのにドア前の位置を得るがために無言のバトルを繰り広げるOL風の女性とサラリーマンがいたり、やたらモジモジ動き続けるジャージ女がいたり、満員電車にも関わらず英語の教科書を一生懸命読んでる美少女がいたり。
見てるこっちが惚れ惚れするほど雰囲気の良いカップルもいたりするんだよ。一言も交わさないのにお互いの仕草にいたわりの心が見えるんだよね。アレは本当に素晴らしかった。映画のワンシーンかと思った。

そういうの見る度に思うのは、人はそれぞれ違うストーリーを持ってるんだなということ。ストーリーを背負ってない人はいないんだ。そしてそれは立ち振る舞いにダイレクトに表れる。
表情や服装、身のこなしなどにその人の人生が写る。オーラというか、その人の纏う雰囲気にもそれは滲み出ていて、それを見るのがこの上なく面白い。これからどこに行くのかなとか、普段どんな生活してるんだろうとか想像してると電車に乗ってる時間が退屈じゃなくなる。

色んな種類の人間をじっくり見ることができる電車という空間が好きです。
こんな風に思えるようになったのはいつ頃からかな。昔は満員電車の人の体臭に耐えられなかったのに随分変わったもんだ

そしておもむろにアンダーワールド。気に入ったので貼っておきます。

人と人は本当に理解し合えないの? 

お互いの表面だけを認め合うごまかしではない、人と人との本当の理解ってなんだろう。

心というものを定義することができるだろうか。
いや、そもそも心の存在すら疑わしいと思う。
人を体と心とに分離して考えるのはナンセンスだ。脳が全ての意識の中枢とする考えも既に古く、情報を処理し指示を出すというシステムは全身に分布しているとする考え方もある。体そのものが思考しているんだ。
体なくして心は生まれ得ないんだ。じゃあ体と心の境界線ってどこにあるのかと。
自分の外側をハッキリさせることでしか自分の内側は見えてこない。心があると仮定した場合それしか心の形を知る手段がないように思う。

他人との共通認識や客観的な事実が自分の外側の世界を構成しているのなら、それ以外の主観的な漠然とした胸の内こそその人の本当の声なんじゃないか。それが心だろうか。
言葉にはできないけど間違いなく何かを感じている。その「何か」を知ることができるなら真の意味での相互理解も不可能じゃない。

なんていうんだろう。例えばモノに触れた感触をダイレクトに人に伝えられればいいんだよ。
人は言葉があるからこそ思考できるわけだけど、同時にどこまでも言葉に縛られているとも思う。
まぁ感覚的に生きたところでイコール漠然とした心を理解することができるとは限らないわけだけど、少なくとも全く別次元でのコミュニケーションの形を得られると思う。

狼少女になったところでそれに何の意味があるの?って感じだけどな。所詮夢次元の話だし。
ただ現状では自分の気持ちは誠心誠意色んな方法を使って伝えるしかないんだよな。相手の気持ちなんか結局自分で慎重に判断するのがベターっていう。

考え方のパターンが分かれば多少は相手のことを理解していることになるのだろうか。
そこまで辿り着くのにえらい時間はかかるだろうが、少なくともそれは「理解はできないがアナタを認めますよ」ってだけの関係とは一線を画す。それが今もっとも正解に近い形なんじゃなかろうか。
気分的には思考がパターン化してるなんて凄く嫌なんだけどね。でも実際そうなんだから認めざるをえないわけで。
要するに必要なのは洞察力ってことなのかな。それもなんか人情味に欠けるような気もする。

う~ん、なんだかますますツボに嵌ってしまった感が否めない。
こうまでして他人と理解し合いたいと思うこの気持ちは一体何なのかも気になるし。
どんだけコミュニケーションに固執する気だオレは。ああもうまたこんなところに行き着くのか。最近ちょっとオレおかしいかもな。ちゃんと健康的な生活しよう。


人に「理解してる」なんて軽々しく口にしちゃいけない風潮がはびこってる。かくいうオレも言っちゃいけないとは思ってる。だからこそ歯向かいたい。できるだけ自分の思考は一方向に囚われたくない。
根拠を挙げられないから何を言っても愚にもつかない感じになるのは仕方がないだろうよ。こういう繊細な部分に触れる話だからこそ「常識だ」とか言って思考停止させたらいかんと思うのです。
まぁ単なる天邪鬼根性なんだが。

寒いのは大嫌い 

寒い寒い。なんだこの冷え込みは。
しかも雨が降ったのに喉が渇くってのが意味分からない。

イスの制作が有り得ないくらい順調に進んでます。今日ようやく板を切り始めたのに、既に4割がた作業が終わってしまいました。何がどうなってこのペースになったのかオレにも理解不能です。

順調に行けば期限内にスマートに収まる素敵なペースなのでちょっと安心しました。
二回目だからと油断してたところもあるんだけどね。どこまでもぬるま湯。

まぁこれで家に帰ってきてまで学校の課題を引きずる必要がなくなったわけで。
サークルの方の活動にもようやく手をつけられるのかな。眠いけど。せめてイラストくらいやらなきゃな。


明日もまた制作だ。おやすみなさい。

面倒なことを考えてたらもう3時過ぎてんよ 

なんか最近やたら寒いですね。
こんばんわ、スズタケです。もう冬になるのかな。早いよ季節。

フォトショが復活したのでとても気分がいいです。

最近胃拡張ぎみなので少し食事の量を控えようかと思ってます。昼ごはんとかガッツリ食べないと物足りなくなってるのが恐い。間食も多いし。
また若干太り始めたので気をつけないと酷いことになりかねない。下半身から太る体質なもんだから顔は変わらなくても腹が出るんだ。足も太くなるし。
いっそ太るなら全身まんべんなく太った方が分かりやすいし全体のバランスもそれはそれでまとまるんだよね。


夕飯前のお母さんとの会話。

母「あんたももうすぐ21になるのね。」
──そうだね。
母「早いものねー。誕生日を一緒に過ごしてくれる彼女はいないの?」
──・・・いませんが何か問題でも。
母「あらそうなの残念ね~。」
──(何を言い出すんだこの人は。)なんだよ残念て。
母「ううんなんでもないのよウフフ」

ブリの照り焼きを目の前にしてこの発言である。さっぱり意味が分からない。
最後の含み笑いが非常に気になるところではあるが、親に彼女の心配をされることもこれが初めてではない。1年に2回くらい言われる。

とりあえず親にこんな心配をされるのも癪なのでなんとかならないかなと思ってはいる。思っているだけでどうなる問題ではないのも重々承知しているつもりだ。
ああもう人類とか軽く滅ばねーかな。

まぁなんちゅうかアレだ。
母よ、そう焦るでない。急いては事を仕損じるとも言うではないか。だいたい親が焦ってどうする。それこそ無駄骨、骨折り損というものではないだろうか。

しかしながら21歳なんて年齢に軽く恐怖を覚えるのも確かだ。いや、彼女云々って事だけじゃなく。
毎年言っているような気がするが、昔の自分がイメージしていたこの年齢の人間像と今の自分との差が大きいような気がしてならない。
「大きなお兄さん」と今の自分。このギャップはなんなんだ。
正直に言うとオレは基本的に中学3年の頃で成長がストップしてるという自覚がある。多少自分を振り返る能力が増した程度で、今のモノの考え方の基礎は間違いなくあの頃にあったし、そこから前進していると感じたためしもない。

人間の価値観なんて大抵は10代から20代頃に確立されるという。それじゃあその後の人生はそれまでのような刺激はなくなって、大した成長もないままただ生きるだけなのか。それが何より恐い。

静岡へバイトに行ってる時に周囲の大人を見ていて感じたのだけど、あの人達も若い頃の価値観のまま生きているように見えた。無礼を承知で思い切って本人にそれを訊いてみたところ「若いうちは将来に不安もあるだろうけど大丈夫だよ」と余計不安になるような言葉を返されてしまった。
歳を重ねればそれに見合った成長ができると感じられないオレには、その答えはあまりに不透明で曖昧で、その場しのぎに表面を取り繕っただけのようにしか聞こえなかった。

こういうことを言うと大抵「何事も自分次第」なんて言われたりするが、似たような境遇の人間なんて良くも悪くもだいたい同じような一生を送るもんだろ。どいつもこいつも自分次第自分次第て、その発想自体が他人任せな気もするんだが。

たとえ「将来は大丈夫」ということが真実だとしても、そんな答えじゃオレは納得できない。(こう思うオレは結局心のどこかで自分なりの答えを既に持っているんだろう。でも今のオレにはそれを看破するだけの能力はない。つまりこの答えの「姿」を知ることがオレの成長の証になる、のかも。)

そもそも何をもって成長とするかも問題なんだよな。
例えば今一番リアルな未来である将来の就職先だって、デザイン学科に身を置いてるけど何もデザイナーになることが全てではないと思ってる。
社会的に底辺と言われているような仕事だって、冷静に考えればちっとも底辺なんかじゃない。むしろ職務に上下の差をつける奴はどんなことをしてようが最低の人間だと思うしね。楽して生きるだけが全てじゃないとも思ってる。

それでもなおデザイナーになりたいと思うのは結局快楽目的でしかなく、ただ自分が「そうしたい」と思えるものがそこにあるというだけで、そういう欲に従った結果付いてきた未来予想図でしかないと思う。
そしてそこに行くためにそれ以外の可能性、学ぶべきものをたくさん捨ててるはずなんだ。工場で働いたり警備の仕事をしたりしてるとそんなことも考えてしまう。工場には工場の、道路の現場には道路の現場の美学があってそれらに差なんてものは全くないんだ。

そういう可能性の種を散々切り捨てておいて何が成長かと。
胸を張って「成長した!」と言い切れる日が果たして来るのだろうかと考え込んでしまう。
ただ単に「以前のオレとは一味違うぜ」というだけの事が、切り捨ててきた可能性の価値に匹敵するにはどれほどの年月を重ねればいいというのか。
だからこそ視野だけは狭くしたくない、と思う。少しでも多くの事を知らなければ成長するものも成長しない。技術面でも思想面でも。

人生における成長に憧れながら、それに反して成長しようとする心をおこがましいとも思う。
つくづく面倒な生き物だなオレは。

ただこういう感情は間違いなくオレの中にあるのでこうして書く事にした。後悔はしていない。

ストッキングという肌 

最近のオレは黒ストッキングこそが至高だと思うのですよ。それもパンストね。
ニーソの魅力を重々承知した上で言いたい。

もうね、セーラー服に黒のストッキングっていう組み合わせだけで50㌔くらい軽く全力疾走できそうな勢いです。

なんでいきなりこんな事を思ったのか自分でもよく分かりません。何がスイッチになったのか皆目見当がつかない状態です。
こんなことになって一番困惑してるのは他でもないこのオレだ。正直不安でならない。自分が。

これからの季節時折見かけることになるであろうストッキング。
オレは一体ストッキングの何が好きなのかを少しでも明確にしておく必要がある。

まずストッキングをはく前の肌の色と、ストッキングの黒に注目したい。
ストッキングをはくことで、脚が本来あるべき色、つまり皮膚の色と全くかけ離れた色になるので、人はそこに一種の違和感を感じるようになる。

体の一部が不自然になっていると、人は無意識にそこに注目する。違和感を感知するわけだ。

その注目するという行為が、脚が本来持つフェティシズムを呼び起こし強調し、もともと備えていた魅力以上のパワーを手に入れることが可能になったのではないだろうか。
つまり虚構的であるからこそ「リアル」をイメージする余地ができ、それが自らの想像力との相乗効果を生みだしていると考えられる。

モノクロ写真がカラー写真よりも情感豊かに写って見えるというのと同じ理由で、一度現実から離れることで逆に現実の存在を大きく感じることができるようになるのだ。
また日本人の肌の色と黒という色には相当の落差がある点も気になるところだ。
モノトーンの持つシンプルでシック、そしてどことなくセクシーというイメージをそのまま投影できるのではないだろうか。

ストッキングの魅力を考える上で無視してはいけないのは透け具合だ。特にそれは間接部で顕著になる特徴があるが、この間接という部位が重要だ。
間接というものは人体の構造上なくてはならないポイントだ。造形的に言えば、間接が人体の美しさを底辺で支えていると言っても過言ではない。人体において各間接が与えるリズム感は自然が生んだ芸術作品なのだ。

膝を曲げた時にストッキングは、黒い繊維の下から白い肌の存在を微かに主張する。これはストッキングという物の材質上偶然引き起こされたものだろうが、この現象は偶然の産物というよりもむしろ運命的であったとさえ思う。
もしこの時透ける位置が脛や太股であったらこれほどの効果は生まれにくいはずだ。人の動きに合わせて微妙に変化する「肌感」こそストッキングの魅力の最たるところであるのはもはや説明不要だろう。。
人体とストッキングの動的な関係は、恵まれた出会いであったといえる。


冒頭で言ったようにオレはセーラー服とストッキングという組み合わせが好きだ。
この場合オレがもともと女子校生や女子中学生が好きだという基盤があったからこそ生まれた嗜好だと考えているのだが、このストッキングというものが彼女らを見る目にどのような影響を与えたのかはまだはっきりしない。
単純に考えれば「ストッキングが少女に色気をプラスした」というところに落ち着きそうだが果たして本当にそうだろうか。
少女に色気をプラスしたからといってそれがそのまま魅力が向上したことの理由付けになるだろうか。

中には校則で黒ストッキングをはくことを義務付けている学校もあると聞く。雪国では防寒の意味もあるそうだ。なんとも羨ましい話ではないか。(いや、あくまで素足の魅力も承知の上での発言ですよ)

不本意ながらもストッキングをはいてこなければならない娘もいるだろう。身だしなみが気になる年頃だ、色が気に入らないということだって十分ありえる。
それでもなお黒。黒のストッキング。その薄い皮膜の下に一体どんな想いを覆い隠しているというんだ。分からん。まったくもって分からん。


それにつけてもストッキングは良いものだ。これからの季節に過度に期待したい。

家紋ジェネレーター 

アスカ先輩が面白そうなのをやってたんで真似してやってみました。

KAMONジェネレーター


綾鷹ってお茶が出てるでしょ。あれのサイトでやってるみたいです。
姓と名を生年月日を書き込むと家紋とタイプを診断してくれます。

以下結果

本名の場合
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【珊瑚】 他人の目の届かないところでジッと努力をする。縁の下の力持ち的存在。それが珊瑚紋のあなた。なかなか注目は浴びないかも知れません。しかし、いつの日かあなたの努力が多くの人々の心を突き動かし、感謝される瞬間が訪れるはず。その素晴らしい努力を怠らず、有意義な人生を歩んでください。

う~ん、地味だ。実に地味だ。アスカ先輩はもっとカッコイイ結果出てたのに、なんでオレは名前でさえもこんな結果しか出ないんだ。
名は体を表すとはこのことか。ふざけるなと言いたい。
まぁ悪いこと書いてないからいいけどさ、なんか理不尽だよね。

ペンネームの場合(姓をすず、名をたけ)
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【星】 星紋のあなた。感情をあまり表に出さず、ひたすら好機を待ち続ける特徴があるようです。対外的にはあまり派手な動きはしませんが、その内側には情熱的に光り輝く想いが秘められているはず。美しい星を味方につけたあなた。その願いは、いつか必ず叶うはずです。

このいまいち突き抜けないネガティブさはなんなんだろう。「対外的にはあまり派手な動きはしませんが」て。それでいいのか。
またしても最後が「いつか必ず叶うはずです」なんてなってるの。一体何がいけなかったのか。こうなったらペンネーム変えようかな・・・。

悔しいからペンネームの姓と名を逆にしてみました。
そして起こるはスーパーミラクル。

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来ました。2Pカラーです。
本名の時の珊瑚の色違いバージョン。書いてあった内容は丸っきり一緒なんだぜ!オレはこいつから逃れられない運命なのか!オレの名は怪人珊瑚男!ぐえははははは!!

ところでこのお茶、こないだ後輩に勧められて飲んでみたんだけど、割と渋めで美味しかったです。甘いものとセットで買うといいと思います。
飲み終わったら横倒しにしてコロコロすると今までのペットボトルとは一味違った感触を味わえるオマケ付きです。まぁそんなことするのもオレくらいのもんだろうが。

人を食べてはいけない理屈 

実りの秋といいます。

植物は迫りくる冬に備えるため栄養を蓄え、動物は子供が生まれる時期を春に合わせるために子作りに励んでいます。

豊かな実りのためにはよく食べなければなりません。一仕事成し遂げるためには資本となる体を作らなくてはなりませんからね。子供のためにもたっぷり栄養を摂らなければならない。

そうしてこの季節は多くの生物が体に栄養を蓄えるわけですが、そんな脂ののった生き物はやっぱり美味しいわけです。まったく有難いものですね。

そこでオレはふと思ったわけです。
「人の場合はどうなんだろう」と。

人間だってこの時期にはよく食べよく太ります。ほかの生物と同じに考えるなら、人間だって食べたら美味しいかも知れない。
都市に守られ天敵のいない人類には繁殖期というものが既にほとんど失われたと言っても過言ではないですが、もしそれがあるとしたら、その時期にお腹に子供を宿した女性はとんでもなく美味なのかも知れない。
それだけでなく子供の場合は肉が柔らかいでしょうし、適度に運動している人であればよく締まった肉が味わえるのではないでしょうか。
ひょっとしたらメタボリック症候群の人の肝臓は珍味として成立するかも知れない。
でも少なくとも不健康な生活してる人の肉なんかはこちらから願い下げですね。


動物愛護団体のやることは極端で大嫌いですが(「知性ある動物を食べるのは生命の尊厳を無視した行為で野蛮だから私は野菜しか食べない」とかね。彼らの言う「知性」の意味がさっぱり分からん。)、動物は平気で食べてるのに人は食べちゃいけないってどういうこと?
人と家畜の違いなんて管理する側と管理される側ってところだけだろ?

倫理的にどうマズイのかよく知らないから勝手に言わせてもらうけど、人だから食べちゃいけないなんていうことは決してないと思う。
食べちゃいけない理屈っていうのはつまり、可愛がって育てたカブトムシが死んだから墓を作ってあげるのと同じだろ?愛情を傾けることができた相手を尊厳をもって死なせてやりたいという気持ちが転じてモラルとされてるだけだろ。

出産後に栄養不足を補うために胎盤を食べることもあるんだし、快楽目的以外でなら例え法治国家だろうとモラル的にもカニバリズムは認められてもおかしくないと思う。
一般的に言われている倫理の「結論」部分だけを取り出して、その「結論」に至る「過程」を考えないことの方が倫理に背くよりもよっぽど罪深い。

例えばオレがこうやって「人を食べてもいい理屈」を考えて、その結果「ああやっぱり人は食べちゃいけないんだな」と気付いたのなら、オレはそれこそが本当の意味での真実だと思うぜ。
もしもそのまま「人は食べてもいい」という事が否定できないのなら、それはそれで真理なわけだ(まぁ否定できない場合ずっと同じ問いを続けなければならないのだから数学のような学問でもない場合死んでも「結論」は出ないんだが)。

残酷趣味だとか自覚症状のある厨二病ではなく、自分の倫理観の再確認という意味で「人を食べてはいけない理屈」を考えてみようと思う。

おいガンダム面白いぞ! 

今週もガンダムを見たわけだが。

面白いよ。戦闘シーン頑張ってるよ。ソレスタルビーイングの主張に納得しちゃったよ。なんだよこれ。

とりあえず今週も絶望キャノンがおいしいとこ取りです。
メカデザインと戦闘シーンという面ではやっぱりガンダムである必要性を感じません。ガンダムじゃなくてもいいと思う。いい動きしてる。

いたるところで男が男に告白してて吹いた。なんだアレは。
一人で二人の男を手玉にとろうとしてるアイツはなんだ。ホモ要素なんかなくてもいいよ。

種でのキラの不殺がとことん不評だったことを意識してるのは見え見えな展開だけど、このテロリスト達の言い分に説得力はあると思いました。
第2話にして組織の目的が明確になるなんて早い気もするが。たぶんそこは公開前に提示された情報でファンが怒るのをスタッフが読んでたんだと思う。公開直前までに高まったボルテージをストーリーの序盤で一気に反転させる作戦だったか。よっぽど自信があると見える。してやられたわ。

考えてみれば国同士が協定を結んだりするのって有事の時が多い気もする。共通の敵を見つけたとき、利害が一致したときに国は力を合わせ信頼関係を築いていくのか。

自己犠牲が美しいとは必ずしも思わないけど、戦争を通じて国が手を組むことを予測できなければソレスタルビーイングは生まれなかった。
スゲー思想。なんという修羅の道だ。理想を求めるからこその矛盾とはこれまた刹那的だな。

戦争という手段をもってしか最早平和は得られないということの皮肉でもあるのだろうね。随分と挑戦的な匂いのするアニメだな。実在する世界の延長なんだからいくらでも皮肉は言えそうだ。大統領とか出てくるわけだし。

そう考えると今までのガンダムとはだいぶ毛色が違ってくる。こうなったらニュータイプ的な覚醒はなしの方向で進んでいってもらいたい。
これまでの富野ガンダムシリーズで描かれた人類の革新と癒しというテーマとは全く別物であることは明白なのだから、現代の社会問題をトレースした「リアルさ」をもってアピールしてほしい。面白いと思うぜ。


話的にはこの調子で行くとソレスタルビーンイングは早い段階で志半ばで空中分解してしまいそうな予感がする。
それで宙ぶらりんになったパイロット達がどうなるか。そんな話になりそうな。

もはや説明などいるまい 



涙腺崩壊

少しは方向性が見えてきたのかな 

フォトショが手元にないため、暇つぶしに絵を描こうとsaiを入れてみました。
一時間ほど描いたらいつの間にか婦人誌の表紙のイラストみたいになってました。あまりに予想外。

背景の色とかしっかり考えたらそれこそ雑誌みたいになるんじゃないかと思う。
とりあえずオレの中では「婦人誌はパステルカラー」みたいな勝手なイメージがあるので適当に淡い青。もっと別の色があるだろうにと自分で自分に突っ込みたい。
曲りなりにもデザイン勉強してる身なんだからさ。

青い顔の女


「特集:テーマ『小さな秋みつけた』」
「季節の装い 大人の女性のためのファッション講座」
「ライター鈴木が行く!秋の京都 おいしい和菓子巡りの旅」

とかなんとか文字入れればそれっぽくなりそうな予感がしてならない。
なぜsaiには文字入力機能がないんだ。書けと。自分で文字を書けと。

それにしてもsai面白いな。画面上でスイスイ色が混ざるから描いてて気持ちがいい。なんだかちょっと油絵を思い出してノスタルジックな気分に浸っちゃいましたよ。

最近こういう感じの絵を描きたいと思えるようになってきた。
ちょっと前まで自分の絵は云々って悶々としてたのに浮上が早いこと。
なんちゅうの、できるだけ線を省いた画風というか。線画にしても江口寿史だとか安田弘之みたいなタッチをちゃんと勉強してみようと思う。
もともとマティスの切り絵が好きだったので当然といえば当然の流れなのかも知れない。こんな形でそれを思い知ることになるとは思ってなかったけど。

電車内スケッチ 

さて。

木曜日は授業がない日です。
なので意味もなく新木場(の駅のホーム)まで行って来ました。行ってみました。

電車の中でスケッチをしてました。ほどよく空いてたので揺れさえ無視すれば快適快適。
埼京線に乗ってそのままナンチャラ線に接続、気が付いたら新木場だったっていうね。

考えてみれば新木場って下りたことない・・・。
窓からはなにやら大きい道路と遠くにビルが生えてるのしか見えませんでした。一体なにがあるんだ新木場には・・・。

電車に乗ってダラッとスケッチしてるのもなかなか気持ちよかったです。喉が渇いたら途中で降りればいいし。
今度は京浜東北線あたりでやってみようかしら。横浜まで行って帰ってくるだけ。それも悪くないかも知れない。湘南新宿ラインは・・・・もっと時間のある時だな。鎌倉まで行ってどうする。流石にこれは保留ということで。

なんていうか優雅なもんですよ。こんな平日の真昼間からいい若者が意味なく電車に乗ってんだからこんなに気分のいい物もそうそうないよ。定期券使用だから金かからないし。浪費するのは紙とインクと時間だけ!お得ととるかとらないかは人による!だから薦めん!

とりあえずようやく芸祭で発表するイスのアイデアが固まりそうです。
去年作ったイスのグレードアップ版という形になるね。
こないだ知った話なんだが去年のイスは肥ポンにも割と好評だったようです。こうなったら今年も同じ路線で行くしかないでしょう。まぁ他の人と思いっきり被ってるんだがな。知らん知らん。

目に浮かぶようだ 

今日数学の先生が嬉しそうに「私はソフトバンクのファンでしてね、今日はこのあとマリンスタジアムで観戦してきます」なんてことを話していた。

やっぱり先生くらいの年代は野球ファンが多いのかななんて思いながら聞いてたんだけど、さきほどとんでもないニュースが飛び込んでまいりました。

【ソフトB】147試合目で力尽きた

>逆王手をかけた2戦目で15安打を放った打線はロッテ成瀬の前にわずか5安打の完封負けだった。

↑この一文が泣ける。試合が試合だけに盛り上がっただろうなぁ。さぞ残念だったろうなぁ。


ところでニコニコの時報が地味に鬱陶しい。
「こんな夜遅くまでニコニコしているニコ厨に2時くらいをお知らせします」みたいな事を言われたんだが。

今日も今日とて愚痴愚痴 

なんだかここんところ人に辛く当たってるようで自分が嫌になってくる。
ガサツ度数が跳ね上がってる。オレの預かり知らぬところで誰かに不快な思いをさせてないかと不安になる。

こんなこといくらでもあるからいちいち気に病むことではないのかも知れないけど、ちょっとした動作や言葉に他人への配慮が足りてないなと事後に気づくことが増えてるように思う。これは自分で注意しないといけないし、自分以外に直せるようなものでもないのだから気をつけるに越したことはないと言い聞かせてます。

ただ気づいたからといってイコール直るというわけでもなく、そこはどうしようもないところだとも思うわけで。
とりあえず舌打ちは極力止めなければ。悪意をばら撒きすぎだ。
ため息も良くないわな。いつの間にこんな癖が付いたんだ。嫌だ嫌だ。

毎日生活に不必要な事ばかり考えて時間を浪費してる。自分の中の天邪鬼は中途半端に自覚するもんじゃないな。

あーーあーーあーー

なんかもっと突き抜けて享楽的でありたい。結局オレは半端な快楽主義者で、そこから脱却しない限り本気で遊ぶこともできやしない。遊ぶ以上は本気で遊べるようにならなきゃダメだなと。
こう言うと誤解をされそうだけどあながち嘘でもないんだよね。オレは遊びたいの。

絵を描くのも正直遊びです。デザインも楽しいからやってるだけです。言ってしまえば興味のあること以外興味ないです。
大真面目に何かを考えたり作ったりしても、それをしている時の気持ちよさに勝るものはないと思う。なんだかんだその瞬間のためにやってるだけ。
社会貢献だとか奉仕だとか、そんなキレイな言い方をできるほど高尚な志なんか持ち合わせちゃいないんだよ。

自己満足の域を出るか否かは自分には決められない。評価されようがされまいが結局は同じこと。極端に言えば歴史に残るか残らないかの違いくらいのもんだ。ではそこに自分の意思が介在する余地はあるだろうか。オレには分からない。分からないがそれに魅力も感じない。

まぁ要は自分のやりたいことだけやりたいだけ。その気持ちだけで十分。ボブもそう言ってるよ。

こんな深夜に思うこと 

過去の幸せに誇りをもてない奴は将来幸せになる権利なんかない。

一瞬でも幸せを感じる事ができたのなら、それがどんな結末を迎えたとしても、その幸せを精一杯肯定できなければ人に愛される資格なんかない。

自分で自分を愛さずにどうする。
消えない古傷を嘆いても、その傷のおかげで今の自分があるということを忘れるな。その傷を認めなければ今の自分はないんだ。過去の自分を否定するような悲しい真似なんかするな。
夜明けを恨むくらいなら夜の星の輝きに心を留めてもいいんだ。誰もそれを止めたりなんかしないんだから。

思い出を美化したっていいよ。どうせ忘れることなんかできやしないんだ。忘れられるような痛みじゃないだろうし、そんなに軽々しい幸福でもないだろ。

もっと自分の生に胸を張らなければならない。
なんのために生きてるかって?生きる幸せを知るためだろが。

幸せなんかほんの一瞬でいいじゃないか。
苦しみの果てに幸せがあるというのなら、自ら望んで苦しんでやろうじゃないか。
苦しみ続けたその先に誰のモノでもない自分だけの幸せの形を知ることができるのなら、その直後に死んでしまったって悔いが残るはずないじゃないか。生きる甲斐のある幸せがあるならそれで・・・。

ただ一欠けらの幸せでいいじゃないか。それで全てじゃないか。



別に誰にともなくこんなことを頭の中で展開したので忘れないうちに書いておく。
どうか気を悪くしないでおくれ。
オレは考えてる間すごく楽しかったということだけ言っておく。あ~スッキリした。

脚 

突然思ったことなんだけど、脚がキレイな人って脛毛剃るのも楽しんでるに違いないよね。
オレは脛毛を剃ったことはないから余計にそう思う。

例えばモデルなんかは特にそうだ。自分の美脚に自信を持ってるだろうからな。
だから毎度毎度自分の脚のラインをなぞってたっぷり堪能してるに違いないんだ。
レーザー脱毛?そんなものは断じて認めん。

脚線美なんてステッキーな言葉もありますよ。脚フェチなんて性癖もございます。
「見て!私のこのフクラハギ・・・!」とかなんとか言いながらカミソリを滑らせてるんだろうよ。空中にピンと長い脚を伸ばして剃ってるんだよきっと。ホラ絵面が想像できるでしょ?イメージとしてはメイベリンのCMが適当か。

いやね、こう、脚のラインに沿ってスルスルスルっと指を滑らせたときの感触とかさ、それだけで至福の瞬間と言えるんじゃないかな。

もっと言えばさ、ペディキュア塗るときだって膝が顔に当たったりするじゃない。当たりそうになってるじゃない。
一見真剣に塗ってるように見えてあの時だって本当は「ちょwwwひざこぞうキタコレwwwwひwwwwwざwwwwwwこwwwwwぞwwwwwうwwwwwwww」って精神状態になってることは想像に難しくないぜ。隠したってエスパースズタケには全てお見通しだ!まったくもう。素直じゃないんだから。

そういうの羨ましいなって素直に思いました。

映画の感想 

昨日に引き続き映画の感想でも。

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久々に映画の感想でも 

ここんところ時間を見つけては学校の図書館でDVD観たり映画館行ったりして適度に刺激をもらうようにしてます。

その感想もそのつど書こうとは思うものの、ほかのネタを書いているうちに忘れ去られてしまったりして、観たけど感想書いてないよって作品がテンコ盛りになってしまいました。

今宵はそれらの作品に一区切りをつけるべく腰を上げようかと思います。せっかくパソコンも入った事だしじっくり書くぜ。

まぁ思い出せる限りで、ね。
なんせ16個もあるんだから記憶にも限度ってものがある。

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ガンダムを見たんだが 

ガンダムOOが予想通りニコニコにアップされてたので取り急ぎ観てみました。

なんというか可も無く不可も無くという感じ。
初回にしては目を引くような作画が見られなかったのが一番残念。OPだって本当はもっと作りこめたはずだ。ガンダムは未だに有効な優秀なコンテンツなんだし、企画の時点でドル箱確定なアニメってことを考えればいくらでもレベルを上げられると思うのだけど。

エクシアのアクションをもっと見たかったんだが、そこは今回はお預け。第1話はとことん人物紹介・状況説明でした。
もうね、タニシパワー全開ですよ。光の翼か月光蝶か。

音楽が川井憲次だって言うから期待してたけど今のところそこまで良いとは思えん。まぁこのあたりも今後に期待だろうね。

とりあえず戦争を止めるための武力行使は矛盾だと本編の中で言ってたのは安心しました。一応まともな精神状態ではあるようです。

ちょっと感心したのはネクタイしめてモビルスーツのデモンストレーションを見るシーン。
西暦という現実の延長線上の話である事を意識しての演出だろうけど、今までのガンダムにはない空気が出てたんじゃないだろうか。なんていうかパトレイバーみたいな。
いっそ企業と政府の癒着をしつこく描く政治アニメでもいいんじゃないかとか思ったり。
あ、戦争だからある意味政治か。社会派ではあるのかな。
まぁいずれにしろガンダムと銘打つ必要はないでしょう。

それから個人的な好みの問題なのかも知れないけど、あまりメカを3DCGで描いてなくてホッとしました。
何故かというと、ポリゴンで作ると情報量は増えるけど動きの演出に柔軟性がなくなるから。
確かにパースは狂わないし、手描きでは考えられないような密度の物体を動かすことができるし、一度モデルを作っちゃえばコストも安くあがると聞くけど、特にアクションシーンでは整合性を無視した作画をしないとメカに表情が生まれにくい事がままある。
正直アクエリオンみたいなのは大嫌いです。ゾイドもそこだけはどうしても受け入れられん。ガジェットの密度を上げれば良作画というわけではないだろうよ。

あとほかに気になったところと言えば刹那の声が思ってたよりも低めだったことと、意味深なチャイナ娘の胸のデカさ位のもんだ。
あと宇宙船内で長い髪を縛ってないミサトもどきの奴とかな。髪の毛邪魔だろうよ。

良くも悪くも今後の展開しだい。
全世界に戦線布告するくだりはかっこよかったから、その主張がどこへ転がっていくのかが見もの。
そこまで悪い印象はありません。

オレの予想では、40話あたりでガンダムバトルフェニックスが出てきて、GNドライブを強制射出する最終兵器「キャノンショット」を発動し、無限のパワーで地上を焼き尽くすんだと思う。
そして宇宙で締め打ち合戦。刹那とヒロインが微妙にくっつかないの。
そんな話。

ハレルヤ。

リボルテックで綾波レイ 

雑誌に載ってたのを知ってから、続報待ちでした。
ようやく詳細が明らかになりました。

リボルテックシリーズに綾波が加わります。

今までのリボルテックも相当完成度高かったのに、新たに素体から練り直してるあたりにこだわりを感じる。
とりあえず価格の割には稼動範囲が広すぎるので買いです。ミクロマンの比じゃねぇぞ。

基本的にアクションフィギュアの間接は汚くなりがちだから嫌いなんだが、こればっかりは認めざるを得ない。踵落としの姿勢で自立するコレに近づいてきた。

あ~それにしても良い綾波だなぁ。良い顔してる。
膝が90°以上曲がらないのは単純に関節の数のせいだと思うけど、ここで欲張って二重間接とかにすると汚くなるんだわな。よくぞ切り捨ててくれた。
アクションフィギュアに詳しくないからなんとも言えないけど、少なくとも体の前で手と手を合わせられるって相当なもんだと思うぜ。なんていうかガオガオガーで言うヘルアンドヘヴンのポーズですよ。
これって胴体が小さくなければできないんだぜ。試しに手元のガンダムでやってみな。

山口式にしてもそうだけど、どう考えてもイメージを形にできるだけの実力がなきゃこんな商品が生まれてくるわけないんだ。
いくらでもカチカチ動かせて、しかも造形はハイクオリティを保つ。むしろ動きによって魅力が増すように作ってある。リボルテックがオモチャの面白さを再発見させてくれた。
この時代に生まれて本当に良かった。

それにしてもこれ素体で発売したりしないのかな。需要はありそうなのに。

考え事をするのはいいんだが、時間がかかるのが問題だな 

こないだの飲み会の時に、明け方にちょろっと言ったことをしつこく言いたい。いやむしろブログのネタにでもしようと思ってた程度のことを喋ったからどう言おうが知ったこっちゃないんだけど。
まぁあの場にいなかった人にとっちゃもっとどうでもいいことですよね。

それでは始めさせて頂きます。
いつも個人的な見解メインで申し訳ない。こんなことでばかりでいいんでしょうか。

漫画について思ったこと。

昔の少女漫画は少女の妄想を誇張して展開させている。特に最大級の愛情表現がキスまでっていう典型的な少女漫画。今では滅多にお目にかかれないジャンルだよ。
そこでは少女達の「内」が表現されていると。

実際、リコロン合宿の時に先輩に読ませてもらった少女漫画の読みきり集も、アイデアをストーリーに昇華できないまま話の一部に強引に組み込んでる作品がいくつか見受けられた。
正直そんなのばかりだからメインの読者である少女の脳内絵巻ではなく、そのまま作者の妄想絵図のような気がして爆笑ものだったのだけれど。

逆に少年漫画のテーマは力への憧れに根差しながらも、自分の外の価値観に興味を示す。つまり興味の対象が自分の「外」にある。
少年漫画で新しい戦闘システムが漫画の価値の大部分を占めている点や、力のインフレによる「より強い敵」を求める傾向がその良い例だ。

男女の違いによる傾向の違いは大まかに見てそんな風に言えると思う。
もちろん少年漫画が好きな女の子がいるのも知っているし、少女漫画しか読まない男がいるのも承知の上ですので誤解なきよう。

で、だ。
こういった漫画(もしくは漫画形式)は最早古典になってんだよね。
今の漫画はその違いがより強い形で描かれているか、どちらともとれる境界線上の作品かという場合が増えているように思う。
この現象がよくわからない。
分からないがエンターテイメントとして漫画を考えた場合相当良い変化であるのはまず間違いない。よね?


それぞれのジャンルは極北化が進み、数あるパターンは細分化され、読者は読みたいものだけ的確に手にすることができるようになった。
ただここまで選択肢が増えた今、本当に読者が望む漫画の姿が見えにくくなっているのも事実だろう。これもポップカルチャーの宿命なのだろうか。

個人的には描き手はいくらヘタなのが増えても別に構わないと思ってる。飽和状態上等ですよ。
むしろ問題なのは読む側が薄っぺらくなってしまわないかというところだ。
まぁこの発想自体、読み手が賢ければどうしようもない漫画は淘汰されるだろうという希望的観測に基づいてるんだが。

ただでさえ単純な記号の集合である漫画を読んで育った世代が、記号の上塗りを繰り返す事態がもう既に起きてしまっている。
富野由悠季の言う「アニメ好きはアニメーターになるな」ってのと同じで、あまりにも視野の狭い漫画が増えている。それでも人気出ちゃうんだもん。どうなってんだ。
つまり読者はそこで選べよ、と。
そして編集の一声で良い漫画が打ち切られていくってのを是非とも読者の力で変えられないだろうか。皇国の守護者とかマジでなんとかなんねぇもんかな。

まぁ漫画読むのにいちいち考えてたら面白くないんだけどね(そう思うオレはつまり少年漫画脳)。

パソコン様御光臨 

今日の夕方にパソコンが届きましたよ。
これで完全なるクローズドフィールドをゲットできました。やったぜ。

無線LANの設定で多少手間取るも、割とすぐにネットが整ったのでほっとしてます。まぁネット繋いで最初にやったのはニコニコを見るってことなんだがな。
これはもう完全に廃人への第一歩\(^O^)/

昨夜はたろう宅で後期開始おめでとう飲み会(?)。
いい具合に酒がすすみました。うめぇ酒はいいもんだ。色々話したけど細かいディティールまで覚えてないです。
明け方頃になってみんなして絵を描き始めるっていう展開が意味不明ながらも面白かった。やっぱりみんなで描くと色々勉強になる。

あ、このパソコン結構タイピングしやすいわ。

余計なダメージを受けないように自分を鍛えていなければ、現実逃避もただの逃げになってしまう 

首筋から背骨にかけて痛む。なんじゃこりゃ。

まぁそれはいいよ。オレの話を聞いておくれ。

とんでもない事に気付いてしまいました。こんな気分になるなら気付かなければよかった。

先日の謎のイライラの原因ですよ。特に誰も気にしてないだろうが個人的には大事だったのでずっと考えてたんです。


孤独を感じるのに周囲に人がいるかいないかという事は大した違いではない。
そんなことを考えてた矢先に学校で黒沢清の「回路」なんて映画を観ちゃったもんだからもうアレですよ。やめて!って。

何が怖いって孤独が一番怖いんだ。死の恐怖よりもリアルな孤独が怖い。

オレは一人が嫌だっただけなんだな。そんな状況に自らハマったことに気付きもせず勝手にイラついて…。
ああ本当に何なんだろう。オレこんなんで大丈夫かな。ガキじゃあんめえし。

怒りの根本原因が寂しさだなんていくらなんでも悲しいだろう。
つくづく自分にガッカリだ。これだからつまらんのよオレは。

まぁたまにフワッとこういう強い感情が湧き出て来る事自体は喜ばしい事なんだけどね。

普段から怒りとか悲しみといった強烈な感情はなるべく表に出さないようにしてるから、こんな形でも構わないからごく自然発生的に気持ちが出てきてくれないとそれはそれで不安になるからね。

あ~でもホントに凹むなぁ。
こんなことにならないように普段からしっかりしてなくちゃいけないんだなぁ。

こんばんわ。スズタケでございます。 

気が付いたらミクシィのデザイン変わってんのな。ただでさえ見づらかったのに更に分かりにくくしてやんの。
当初と比べると色々機能付けたから、それに伴って使いやすくしようとしたんだろうけどね。完全に裏目に出てるとしか思えん。

さて。

なんか今日の夕方頃までず~っとイライラしっぱなしだったのだけど、一人で無駄に新宿のビックカメラをうろついて電化製品に毒づき、上尾に帰ってきてオニギリ食べて一度クシャミしたら何故か気分がスッとしました。

オレは腹が減っていただけなのか。
食べ物って偉大だなぁ。うん。


もうね、自分がいかに最低で、最低であること自覚するがゆえにそれを認められず、人やモノを貶すことで自分の立ち位置を守ろうとするなんて下劣なことはもうしませんよ。
なにもかもつまらなく見えるのは自分がつまらないからだ。それを周りのせいにするなど愚の骨頂。自分を面白く。
そんなことをオニギリに諭されました。はい。

なんだよ、結局飯の話かよ。
そんなもんだ。ご飯は大事よ。

あり得ないくらいスッキリできたので自分でも不思議です。昨夜のテンションはなんだったんだ。
自分で言うのも何だが切り替え早いなオレ。

足りてない部分に気付いたらその部分をマメにメモすることにした。

うほっ 

20071001104303
トイレに受講カードが……。

一体なんの授業だ………。

イライライライラ 

なんちゅうかアレだ。
寒いのが原因なのか、欲求不満なのか知らんが何故かイライラする。どうしたもんかね。

どうでもいい事ばかりに思考を巡らせてエネルギーを消費するのを止めたい。
考える必要のないことを考えて何になる。
思考停止で構わん。なんだかもう何もかもめんどくさい。

そもそも発想が全てつまらん。下らない嘘吐きめ。
虚栄心に裏付けられた支配欲と慢心に嫌気がさす。自己満足も自虐もいい加減にしろと。

斜に構えて気取ってみたところで底が知れてる。倫理観や道徳観念を真面目に勉強するつもりもないくせに。


密かに思ったことすら素直に言葉にできず、欲を通す傲慢さも持ち合わせず、人としても足りていないことを自覚しながら一体何をしているというのか。他人の顔色を窺ってばかりで面白味に欠ける。

更に行動原理は他人への恐怖だけと来たよ。結局怖いだけ。何も分かってないくせに。分かろうともしないくせに。分かった振りして適当に人の気を引こうとしてる卑怯者だ。とんだ裏切り者だ。実際に人の信用を仇で返すような真似ばかりじゃないか。

楽な方を選ぼうとする浅はかさが幼稚だ。わざと難しくするのがカッコいいと勘違いしてるやがる。
被害妄想を逞しくすることには長け、その度に自己嫌悪に陥り、そしてその自己嫌悪さえ肯定して自己弁護だ。
オナニーするだけなら生きる価値なし。手淫機が喋るな畜生。

小さなプライドなんぞ捨てろ。価値はない。邪魔だ。目障りだ。
華美に酔うな。虚飾は無駄なものの筆頭だ。

冷静な観察、柔軟な発想、鋭い視点、問題意識。
これだけしっかりできれば自ずと答えは見えてくる。欲に惑わされるなバカ。

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