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清水先生はニコニコに動画をアップすべきなんじゃないか 

こないだ学校の図書館で清水御大の「つげ義春を読む」という本を立ち読みしたのだけど、その内容は結局のところこれ↓と大して変わりないんじゃないのという結論に達した。

この動画のうp主であるwhoPの美希への愛情と清水先生がつげ義春に向ける情熱の種類はよく似ていると思う。
ただし清水先生の方が作品世界から一歩踏み出してかなり自由に独自解釈を展開していて、一見その様はかなりぶっ飛んでいるように見える。
それではwhoPの方はというと、こっちはこっちで作品世界の中に留まりぬくぬくとした環境で詳細を分析している。

そのどちらが優れているとかそういうことを言うつもりはないけど、ネット上の一動画サイトにアップしているにすぎない一素人と、大学教授という社会的地位の高い人間の情熱の生まれるところが似ているというのはなんだか興味深い。

共通して言えることは、それだけの情熱を好きな形で発散することができている両者はとてもカワイイということだ。

もういっそwhoPはアイマス本を一冊執筆し、清水先生はニコニコに動画をアップしてみてはどうか。その際両者がどのような表現をするのか非常に興味がある。


それにしてもwhoP恐るべし。
スロー再生しているのに声のトーンが変わっていない事にはただただ感服せざるを得ない。こんな愛の形もあるんだなぁ・・・。
「デートしてくれま す か ?↑」のところが2週間ほど脳内でスローで再生され続けたのは言うまでもない。

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ラクガキをイラストと呼んでもいいじゃない 

ラクガキに手を加えてみた。
ちょっと色付けただけでも見え方が違うな。
牛さん
そして果たしてこの英文はあってるのだろうか。エキサイト翻訳に頼ってしまっただけに余計に心配です。逆に心配です。

アナログの段階でどこまで描き込むべきなのか、今後の課題はそこになりそうだ。
そもそもラクガキでしかないものに色付けてるわけだから無理があるのは分かってるんだけど。
ラクガキの時が一番いいテンションで描けてて勢いのいいものが出来るからそこを利用したいんだけどな。それも一発描きの勢いはそのままに、できるだけ修正しないで。

こんだけ寝たのにまだ眠い 

今年も春祭が無事終了しました。
念願の一年生も入部してくれたわけだしよかったんじゃないでしょうか。
我修院達也が喋ってるときだけ物凄い勢いで雨が降っていたのには笑うしかなかった。

参加者不足ということで打ち上げがなかったのですが、友達と行ったカラオケで喉が完全終了してしまったのでどうしようかと思ってます。野郎3人で朝までカラオケというのも考えてみれば相当キてるな。非常に体力を消耗しました。あとUGAは死ね。
ne.jpg
部誌の表紙で使ったイラストに適当に手を入れなおしたものです。
フォトショ上で見るのと出力したものを見るのとブラウザ上で見るのとではそれぞれ色が全然違うというのは知ってたけど、今それを心底思い知りました。

しかし疲れた。帰ってきてから久しぶりに横になって布団で寝たらいつの間にか12時間も経ってました。

事実とイメージは別物なようです 

昨日電車の中でこんな光景を見た。
優先席に座っていた若い男がおもむろにケータイを弄り出すと、向かいの席に座っていたおばあさんが「ここではケータイは凶器になるから遠慮してね」とケータイを使うことを控えるように言っていたのだ。

まぁ確かに優先席の前の窓ガラスにはケータイの電源を切ることを促す表示があるけども、オレはちょっとここで待ったをかけたい。

電車内でのケータイ使用の是非については数年前に各メディアで熱い論争が交わされたと記憶している。
ケータイから発せられる電波がペースメイカーの動作に影響するという説に端を発した議論だったと思う。

その議論が収束の兆しを見せ始めた頃に(オレ主観)、「ケータイを胸に押し付けでもしない限りペースメイカーが影響を受けることはない」とする実験結果が出た。これは新聞にも載ったりしていたのでよく覚えている。

それでも事故の起こりうる可能性が完全に消えたわけではないからその後車内に例の「ケータイの電源はお切りください」というインフォメーションが掲示されることとなったわけだけど、冒頭で書いたおばあさんの発言はおそらくそこに至るまでの過程をすっ飛ばして「ケータイの電波はペースメイカーに悪影響がある」という部分だけを信じていたに違いない。

どこかで聞きかじった知識と、それを後押しするかのような掲示も手伝ってそういう行動に出たのだろうが、おそらくそれはおばあさんの正義であり、それ自体は誰にも批判される筋合いのものではないのだろう。

しかし実際に起こりうる事態とおばあさんが信じている情報の間には大きな隔たりがある。
それは彼女が単に間違った情報を信じているということと、車内掲示そのものから引き出されるイメージが世間一般の共通認識において「悪である」と刷り込まれていることから生まれた落差があるということである。

これはこの事だけではない。
ちょっと周囲を見渡すと、「実際にはさほど害はないのだけど、世間的に悪い印象がある」ものはできるだけ排除しようとする傾向があちこちにあることに気付く。

例えばそれは放送禁止用語というものにも現れている。
本来「禁止用語リスト」のようなものは存在しない。各放送局が公俗良序に反する内容の言葉などを判断し、「自粛」しているものを一般的に「禁止」と呼んでいるだけらしい。
それは他人の権利やプライバシーを守り可能な限り配慮するという大義名分から来ているようだ。
要はモラルという社会的なバランス感覚、「常識」という名のより大多数の人間の共通認識を反映した結果が「放送禁止(自粛)用語」というものを作っている。

しかしおそらく大多数の人間はそのことを知らない。
そういう者は何の疑いもなく「禁止されているものだ」と考え、「禁止用語リスト」の存在を信じているだろう。
彼らの考える「禁止されている理由」は上記した「自粛している理由」となんら違いはない。
しかし最終的にはじき出された結果が「禁止」と「自粛」とでは雲泥の差がある。

本来「自粛」という範囲に留まっていたものが、モラルに反するという印象だけが一人歩きして、一般大衆に「禁止」というイメージを抱かせている。
問題なのはそのイメージだ。イメージだけで物事を判断していて、しかもそれが一般論になっている。
これは事実と実態が食い違っているという意味で非常に危険な落とし穴になっているのではないか。

また別の例を挙げよう。
児童ポルノ法改正を巡り現在進行形で議論が巻き起こっているが、ここでも近い将来似たような事が起きる可能性がある。

現状では児ポ法の議論は主にネット上でしかなされていないが、仮にこの動きが一般に浸透し、より多くの意見が反映された結果全ての議論が白紙に戻ったとしよう。

が、人々の間に「ひょっとしたらこういうことってやっちゃいけないんじゃないか」というような気まずさや誰にとも知れない配慮(顔色を窺う)の心が生まれた時に、実質的な害がないにも関わらず自粛しようという動きが生まれる可能性がある。

そうすると、実際には法的な拘束力がないにも関わらず、出版社や本屋はそういう類の商品をできるだけ見えにくい位置に置こうと考えるだろう。世間の目が直接的にゾーニングを一方的に推し進めるばかりか、そうした商品を駆逐してしまう恐れもある。

ドイツでは児童ポルノの単純所持が禁止になっているそうだが、その結果以下のようなことが起きているそうだ。

>ドイツで暮らしたという日本人に会ったことがある。自分の子どものお風呂上がりの写真を持っていたら、ドイツ人に、「危ないから、持つのはやめろ。」とアドバイスをされ、びっくりしたと聞かされた。

参照:福島みずきのどきどき日記

これは法に基づいた認識が民衆に行き渡っているため起きた出来事だが、法のような実質的な拘束力のない場面でも「悪いイメージ」だけで同じことが起こりうる可能性は否定できない。
なにより日本人は他人の顔色を窺ったり長いものに巻かれるのが大好きな民族であるから、なおさらその危険がある。
つまり児ポ法改正云々の議論がなされるなら、より多くの人が正しい知識と認識が共有されるようにしなければならない。まぁこれは何に関しても同じことなのだが。

今では公共の場でのケータイマナーは一般的にある程度定着していると思う。マナーを守るのは素晴らしいことだ。
しかしマナーを盲目的に信じるのではなく、そのマナーの生まれた理由を考えるだけでもより良い形で周囲に配慮できるようになるはずだ。
一般的なイメージに踊らされることなく、少なくとも自分だけでも己を保っていたいと思う(できればより多くの人がそうであってほしい)。

ただ昨日のおばあさんに関して言うと、あの場でおばあさんの間違いを指摘すべきかどうかという別の問題が出てくる。

彼女は彼女の正義があって、しかもそれは根本的なイメージレベルにまで心身に染み渡った堅い信念であろうから、それを安易に否定する権利が果たしてオレにあるだろうか。

逆にいえばこうして朝っぱらから長々と述べてきたことだってオレの正義でしかないわけで、双方の正しさをぶつけ合うという不毛な争いに身を投じる覚悟がオレにあるのかと。
更に言うならオレが相手にしているのはおばあさん一人だけでなく、おばあさんと同じ認識をもった数多くの一般人全てということになる。いくらなんでもこれはちょっと勝てる気がしない。

(事実よりもイメージこそが実態を作ることができる、というのはひょっとしたら将来役に立つかも知れないのでそれはそれで覚えておくことにする。)


あと本文と関係ないけどちょっとラクガキ。
妊婦ほか
なんか最近妊婦のフォルムに心惹かれる。
可愛いという感情とも違う、何かこう佇まいから神々しささえ感じる。何がそう感じさせるのだろう。

ちょっと高校の生物を勉強しなおそうと思う。命について今一度熟考する機会が欲しい。願わくばそこから更に進んだ知識が欲しい。

今「ブルックスの知能ロボット論」という本を読んでいるのだけど、こういうのを読んでいると素人ながらに人間について考えてしまう。
人ってつくづく不思議で面白い存在だな、と思う。人や命の仕組みをもっと知りたい。

手足の生えたケータイで遊ぶ 

学校帰りに電器屋寄ったらSoftBankのナメたケータイのモックが置いてあったので弄ってきました。
なんかムカついたのでM字開脚の刑ですよ。
TS350466asdfgh.jpg
ボーダフォン時代の伝説、キグルミケータイの悪夢再びです。
最近のケータイはオモチャみたいのばっかり、なんて言うけど、これじゃまんまオモチャじゃないの。
しかも出来がまた酷い。ガンダムのアクションフィギュアの方が100倍凄いぞ。いやマジで。

なんぞこのマグカップ 

syoumen.jpg
後輩にもらったマグカップが大層狂っていました。
これアレね、パチスロのRioたんですよ。
まぁそれは分かるんだがそれでこれをどうしろと。そしてなぜオレにこれを渡した。
モノがモノだけに学校に持ってくるのも大変だったろうに。大儀である。
yoko.jpg
そしてこの横乳。左胸半分出ちゃってるよ。どんな服だ。
ところで余談ですが、エロ画像を家族に悟られることなく保存するテクとして、横乳画像を「横丁」フォルダに、下乳画像を「下町」フォルダに保存するというのがあります。
raida-.jpg
しかし行き場のないこのマグカップ。
せっかくなのでライダーをインしてみました。
さすがにこれをナチュラルに実用する気にはなれないし、どうせだからもっと違う活用方法を考えたいと思います。例えばペン立てとか。

しかし地震長かったなぁ。
部屋中からカタカタカタカタカタ音がするもんだからオレはちょっと怖くなっちゃったよ。家が崩れたらマグカップどころの話じゃなくなるぞ。

「スパイダー・ウィックの謎」の感想 

ゴールデンウィーク終わりに映画を観て来ました。「スパイダーウィックの謎」ね。
なんだか久しぶりに映画を観た気がする。

いかにもゴールデンウィーク用の子供向け映画かと思いきや、全然そんなこともなく普通に楽しめました。ライラ観なくてよかったよ。
まぁ子供が観ても問題ない内容だと思います。むしろ子供向けのものこそ大人も一緒に楽しめるものであるべきだと思います。

まぁいいや。
以下感想。

一見仕掛けが弱いようにも見えるけど、この話はハイファンタジーでもないし、家の周囲のみというとても小さな範囲に話を留めているので大袈裟すぎず観ていて安心感がありました。
世界の危機に直面する、というよりも、家族のために戦うって感じがよかったね。
片田舎の古ぼけた家の周辺で起きただけの話なのに、それでもこんだけの大冒険を繰り広げることができるんだよなぁ。

ティンカーベルのような妖精は出てこないものの、昔ながらの妖精がいかにも妖精然としたいでたちで出てくるので、そういう知識があるともっと楽しめると思います。
特にトロールの造形なんかはファンタジーというより土俗的な伝承に登場する方に近いんじゃないか。

ロード・オブ・ザ・リング以来の大作ファンタジー物にありがちな、物量で攻めてモンスターのキャラクターを潰してしまうというようなこともなく、出てくるモンスターの個性がちゃんと出ていたのでそういうところも見所になるかなと。

人物描写に関して言えば、主要人物のキャラが比較的ちゃんと立っていたのかなと思う。
結局ファンタジーっつっても描きたいのは人間だから、そこがしっかりしてないとお粗末になるのは当たり前だわな。

ただまぁ作中で喧嘩しているシーンが多いせいか、それぞれの性格の特徴が強く出すぎちゃってるかな、という気もしなくもない。まぁ気になるほどではないが。

画面からの情報でそれぞれの性格や特徴が示されてたりして、本当にサラサラと展開していきます。さほど状況説明などに時間を割くこともなくテンポ良いです。

しかしながら今どきのファンタジーを期待してみるとやっぱり全体的に控え目な感は否めない。それなりにカタルシスはあるんだがね。
なんだろう、「やりすぎてない」っていうのが適当か。質素な美味しさ。
あーでも今にして思えば全体のトーンの起伏がさほど豊富というわけじゃなかったかもなぁ。ぬーん。

まぁそれより家族のドラマの方に注目してねって話だ。個人的には主人公が父を乗り越えていくくだりが好きです。


DVD出たら買うかどうか迷うな。
ただもし仮に続編が作られるとしたらオレは多分観ないと思います。

とりあえずバトンでも 

なんか今日はこどもの日なのにコミティアとかあるそうですね。
大儀である。

ゴールデンウィークももう終わるぞ。どうしたもんかね。なにもしてないや。

というわけで、ひでりさんからバトンが回ってきてたのでやります。
mixi内の質問ばっかなのですがまぁいつものことなので気にしないでいきたいと思います。

【コンパクトだからこそ即やるバトン】

■あなたのmixiネームとその由来は?
⇒スズタケ

mixiネームっちゅうかペンネーム兼HNって感じなんだが。

ペンネームを決めようと迷っているときにふと目についた朝日新聞に、植物紹介みたいな小さな欄があって、そこにたまたま載ってたのがスズタケという植物だった、というだけの話でございます。
適当につけた名前にしてはなかなか語感が気に入ってます。


■今、あなたのTOPページに表示されている写真は?
⇒テトラポッドのペーパークラフト

デイリーポータルZの「手のりポッド」という記事にあった写真を拝借。

この記事を書いた大山顕さんの独特の視点が好きでたまらない。実際この人のサイトとかかなり天才だと思う。
せっかくだからリンクしときます。

住宅都市整理公団
日本ジャンクション公団

誰が求めているのかも分からないようなコアな趣味でも、ここまで自信をもって語られると素人でもなんとなく納得してしまう。
そんなことを感じさせてくれる稀有なサイト。

大山さんの視点は常に真摯で素直。それがなにより好きだね。

■今、あなたのTOPページに表示されている9つのコミュニティとその説明

コミュニティーとか基本的に放置してるのであんまりアレなんだが・・・。

⇒マルドゥック・スクランブル
GONZOの企画倒れOVAのコミュ。
村田蓮爾がキャラデザしたとかで短いCMまでできてたのに途中で頓挫したのには心底ガッカリした。

更新も止まってます。

⇒村田蓮爾
敬愛するイラストレイター、村田蓮爾のコミュ。
でもここで情報収集できることって滅多にないんだよね。いつもどこかからの転載だかんね。
サインの見せ合いっこことかもういいよ。べ、別に羨ましくなんかないんだからねッ!

⇒ウェンズデー
アダムスファミリーのウェンズデーがあまりにも可愛かったので勢いで入ってしまったコミュ。
更新もないし特に面白みがあるわけでもないので絶賛放置中。

⇒五十嵐大介
好きな漫画家の中でもかなり上位に入るオレ的神漫画家、のコミュ。
こちらもたまに更新がある程度ですね。まぁ今はそれなりに連載とか抱えてるから情報源としては助かってます。
編集者がアンケートとかとったりすることもあるのでリアルタイムで楽しんでます。
五十嵐先生本人がケータイすら持たない人らしいので、貴重なコミュではある。

⇒なんかもう疲れた、もう死にたい
ほぼ毎日更新がある脅威のコミュ。
興味本位で入ってみたけどメンヘラの溜まり場と化していたので今となっては半笑いで傍観してます。
最近では硫化水素云々で盛り上がってるみたいですが、それぞれ中身のない独白が延々と綴られていて暇つぶしの助けくらいにはなってくれます。

■最近の悩み
⇒やはり目下のところはメタボライズ・・・太ってきた事だろうか。

本当にもう・・・・なんなの?
ソニーがブドウ糖から発電する電池ってのを開発してるはずだからそれを使って脂肪を電気に・・・ってことはできないのだろうか。

■このバトンを回す人を9人足跡から
ブログなのでアンカーということで。

可愛ければそれでいいのです 

こんばんわ、スズタケです。

ちょっと前に気づいたのだけど、どうもオレは妖精さん的な、手のひらサイズキャラに萌えるらしい。

ピーターパンのティンカーベルとか、BIOMEGAのAI達とか、なんていうの、人型マスコットにむしょうに心惹かれまう。おっとうっかりタイプミスだぜ落ち着けオレ。

なんかね、サポートとかしてくれるのっていいじゃない。
飛んでても飛んでなくてもいいです。小さいならそれでいいです。

よく課題が終わらなかったり切羽詰ったりすると、ジョークで妖精さんが云々と言ったりするけど、もうそういう損得とかなしにリアルに妖精さんとかいないかね。
オレんとこ来てくんねーかなー。優遇するのに・・・。

あ~考えてみりゃフィギュアが好きなのって何か関係あるのかな。
それともフィギュア好きが高じてこんなことになったのか。
自分でも判断しかねるな。


関係ないけど、映画観に行こうかと思って調べてみたら大して面白そうなのやってなくて泣きそうになった。
クローバーフィールドとかどうみてもウンコ映画だろ。あの手の映画ってオチでガッカリするために観にいくようなもんだ。貶すために観るというか。B級映画は好きだけど、B級映画は映画館で観るより借りて観た方が100倍楽しいと思います。

エガちゃんが全力で否定しているライラの冒険でも観ようかな。どんだけクソなのか逆に確かめたい。

実況動画リンク貼りまくり祭 

弟が一人暮らしするとかで今ごろになってアパート探しをしているようです。
弟が出て行け一部屋増えるからそこを作業部屋に当てて・・・フヒヒッ!


ニコニコの実況プレイ動画が好きで色々見ているのですが、最近はなかなか良い企画のものが出てきているので毎日飽きずに済んでいます。

なので、っていうのも変な話だけど、ここ最近個人的にヒットだったものを貼り付けまくろうと思います。

基本的にシリーズ化してるものしか見ないので、長期戦は覚悟してください。
つうかニコニコプレイヤー、fc2にも対応してたんだな。


なかなかのMっぷり。
縛りプレイはアツイので個人的には大好きです。ゲームの話ですよ?
四天王を見事撃破するラストは圧巻の一言。


この発想はなかったわ。タイトルを見た瞬間に湧き上がってきた期待感はそれまで感じたことのないものだった・・・。
それにしてもやたらと可愛いカアチャンですね。
ちなみに終わってないので頑張れば追いつけます。


回が進むにつれて徐々にテンションが上がってくるうp主。
スエゾーへの愛情を感じることができます。


この動画のうp主は、オレの中では「自作の改造マリオ~」の友人にも勝るとも劣らない忍耐力の持ち主だと思っている。
地味だが、いい。まぁずっと見続けるには多少ダルイが。


出オチが凄い。
ゲームの内容云々よりもミシェル(おかま)の言動が面白すぎる。引き出し多すぎ。
深夜ラジオのノリが好きなら一度は見ておくべき。比較的短く、既に完結しているので安心してみれるのではないでしょうか。
次回作に期待したいですね。

ほかにもリンクしたいのはたくさんあるんだけど、これ以上貼ると重たくなるので自重します。

少しずつ全体的な思考になっていく自分を、忌避する自分と受け入れる自分と 

ゴールデンウィーク真っ只中ですね。
世間じゃ真夏日だとか寝ぼけたこと言ってますよ。まだ5月だっつうの。外がどんだけ暑いかなんて知ったこっちゃないわ。

こどもの日も近いことだし「このロリコンどもめ!」で有名なバックベアード様のハンコでも作ろうかと思ったけど、参考に拾ってきた画像を一瞬見ただけで断念しました。水木先生本気すぎ。
一応今回は石じゃなくてプラ板の積層なのでパテでいくらでも修正可能です。便利便利。


漫画の原稿を描かなきゃってときに、オレの場合ネタを搾り出す作業があるわけだけど、その度に自分をいちいち掘り下げようとしている自分がいて、いらぬ事を思考しなきゃならない事が煩わしく感じます。
結局自分の事しか描け(書け)ないのでそれは仕方がないのだけど、こう毎回じゃ気が滅入る。

もうちょっと気軽に何かを描けたらいいなぁと思う今日この頃です。例えばラクガキとかハンコみたいにね。
じゃあいっそラクガキでよくね?と開き直ってみるだけの度胸もなく、結局ただ半端に主張したいだけの自己満足的な惨めな結果のみが残る。

このブログでも度々書いていることではあるのだけど、オレは記号的で単純な感情移入というものが嫌いで、それに踊らされたくないがために自己防衛しているようなものなのだけど、それは結局「自分がくだらないと思っているモノと同じに見られたくない」という程度の子供っぽい意地で、その意地を通そうとすると、逆にそれ以上のものを感じるだけの感性・知識・経験の欠如を自ら露呈する結果に終わってしまうのがなんとも言えず悔しくてね。

そういうのもある程度は自覚してるつもりなんだけどな。
それとは別に、感情移入こそが全ての表現の根源的な要素であるのを知っていて、それでもなお感情移入を否定したい自分も認めてあげたいと思ってるのね。
もうオレはずっとその事しか考えてないような気さえする。

で、前ちょっと考えた。
それは「他者を絶対的に拒絶するアートというのは可能か」ということなんだけど、それがどうも不可能臭いと。割とアッサリ結論に至ってしまった。

例えどんなに無意味(に見える)なものを用意したところで、人は意味を持たないものを基本的には認めないし、仮に「そういうもの」として無意味なものを認めたとしても、それは「無意味」という新たな価値を与えられたにすぎず、結局それはそれで「有意義」ということになってしまう。その時点で許容されちゃってんよ。

全ての存在に意味がある、というより、全ての存在は意味を与えられる、というのが正しいか。
存在不能なものは存在しない。トートロジーか。

そもそも絶対的な拒絶を目的とした表現なんてものは存在理由そのものがない。
基本的に相容れないと言われているアートとデザインに唯一共通項があるとすれば、それは「他者」の存在であり、それなしにはそもそも「表現」というものが生まれていないんだ。
その「表現」を形作っているものの一つに「共感」がある以上、そこから離れることは不可能だ。不可能なんだ。(大切な事なので2かry)


何かを表現しようとしている人が何を考えているのかは知らない。
その人が描きたいモノを衝動のおもむくままに描いたモノにこそ鬼が宿るのも分かってる。
ただその表現に他者はいるのかと。やりたい事をガムシャラに突き進む旺盛な貫通力は一度わきに退けておいて、そもそもそれは誰に向けた表現で何のために描いているのかと自問自答すべきなんじゃないか。
いや、全ての表現者にそうなってもらっちゃそれはそれでマズイんだが。
少なくともオレは自分一人でいるよりも他者のいる世界の方がいい。この場合「鋭さ」ってのは二の次だな。

今までは自分だけよければそれでよかったのだけど、最近はこんなことを考えるようになった。なってしまった。良いと捉えるか悪いと捉えるかは今は判断しない事にする。

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