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無印は商品の入れ替えスピードが速すぎる・・・!そしてオレはそれに気付くのが遅すぎたんだ・・・! 

今年の2月頃からずっと使っていた無印のメモ帳の残りページが少なくなってきたので、新しい物を買いに行ったら同じ物がなくて怒り心頭です。同じ売り場を何度行ったり来たりした事か。

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右が今まで使っていたメモ帳。左が妥協の末選んだ新しいメモ帳。ええい悔しい!今までのがかなり理想に近い使い心地だっただけにこの差は大きいぞ!
無印は入れ替えが激しいとは思ってたけど一年足らずでこうも変わってしまうとは。確かに最近の時流に沿ったデザインに変更しているのは見て取れるから、マイナーチェンジとしては納得できなくもないのだけど・・・。
きっと客からの意見とかも取り入れてるんだろうな。オレがその流れとは別の方向を向いていただけで無印は何も悪くない。悪くないのは分かっているつもりなんだが、どうも心のモヤモヤが晴れないのはまるで分かっていないという事なんだろう。

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個人的に一番の違いだと思うのは、横罫なのかドットなのかという点だ。写真だと分かり辛いけど今まで使っていたのはドットだったんだ(茶色い紙の方)。罫線だと線自体の存在感がありすぎて好き勝手に書けないし絵も描きづらいから嫌いなのよ。

ただドットの商品がなかったわけではなくて、一応それなりのラインナップでドットの物もあったのだけど、いかんせんカバーがポリプロポレンだとかで柔らかいっていうね。ハードカバーじゃないとページを半分に折り返して書く時にふにゃふにゃして書きづらいから嫌なんだ。それからハードカバーにはリングが必要で、これも半分に折り曲げた時に全体を裏側までしっかり折り返せるから筆記面が安定するんだじゃないか。
オレは冗談じゃなく字が汚いから出来る限り平らな状態じゃないとまともに字も書けないんだよ。今まで使っていたメモ帳はそれらの要素を全て叶えてくれていた最高のノートだったというのに。オレのためだけに再販してくれないかしら。

こんな事になるならまとめ買いしておけばよかった。無印の使い方をようやく覚えたぞ。次は失敗しねーかんな畜生。とりあえず今はこの状況に順応するしかあんめぇ。ああ悔しい。


この曲を聴いてアルバムを買う決心をした。かっこええ。スクエアプッシャーは以前から好きだったけどCDを買うほどではなかったんだよな。これはもうオレのハートにクリーンヒット。


大宮のハンズはいらない子。中途半端極まりない。

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レポートパッドの表紙にまたラクガキしたぞ 

レポートパッドを使い切ったので新しい奴を買った。
以前使っていたものは表紙に盛大にラクガキをし、それがとても楽しかったのでまたやった。今回はそれほど大きくは描いてないのだが。でも満足。

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適当に描き始めて方向性に迷った挙句に思いついたのがビールの麒麟のマークでした。途中からそれっぽくしようしようと意識し続けていたのにそれでも結果がこれだかんな。うろ覚えと付け焼刃をテンションで補いましたって感じ。麒麟のマークは格好いいから好きだ。今度暇な時にビールがあったら模写でもしてみるか。

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せっかくチマチマ描いたのに離れて見ると全部潰れてしまって損した気分になるので拡大してお送りします。カメラで撮影して拡大しようとしたら感度が低すぎてノイズが入ってしまい、まるでお話にならなかったのでスキャナーを引っ張り出してきてトリミング。
自分で何を描いているのか分からなくなって徐々に混乱していくのが気持ちいい。

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人体において尻という部位は、その存在自体がギャグなんじゃないかという気がしている。尻を丸出しにすればどんなに偉い人だって瞬時に情けない姿に早変わり。イエス・キリストにだって尻があって2000年前にも我々と同様にウンコを尻から捻り出していたわけだから、その事からも尻の重要性はよくわかって頂ける事と思う。聖職者だろうがホームレスだろうが大学の教授だろうが関係ない。男も女も老いも若きもみんな尻がある。尻があってみんな平和。クレしんに「お尻合わせてお知り合い」なんてセリフがあるけど、こんなにも人類愛に満ち溢れた言葉が他にあるだろうか。いや、ない。

尻。尻。尻という言葉の響きが面白いよ。そのフォルムがいいよ。尻を半分に割った奴は間違いなく天才だ。だからオレは尻を描く。描かざるを得ない。その結論が上の画像だ、とは口が裂けても言わんぞ。これはこれ、それはそれ。


関係ないけど、「自分にとってこうするのが楽しいんだ」と自覚してからその気持ちを維持し続けるのって、楽しいと気付かないまま続ける事よりも遥かに労力を必要とするのな。
純粋に楽しめているのはむしろ後者なんだろう。前者の場合は意識的に追求していく方向に進み、場合によっては苦しむ事もある、と。
オレが何も考えずに手を動かしている方が好きだというのはどちらかといえば後者の感覚に近く、ストイックさとは離れたところで楽しむ無責任な選択をしているとも言える。自分さえ良ければそれでいいっていう。誰にも非難される事のない状況を好んでいるわけだからかなり後ろ向きだな。激しく今更な話だが。今までその自覚がなかったってのがどうかしてたんだ。まぁあくまでも趣味でやるならそれで十分だわな。


それから癖っ毛がいよいよもってグネングネンになりやがってウゼェのなんの。その強力な反り返り力をもっと別のところに活用して頂きたい。ただでさえ精神面とか嗜好が捻じ曲がってるんだから、毛くらい素直にまっすぐ、プリティでキュアキュアなマックスハートであってくれてもオレは一向に構わないんだが。
むしろ心が捻くれてるから髪も・・・。いや、まさか。それは考えない事にする。

見えるかどうかが問題ではない 

自分自身の経験の中では幽霊と遭遇したり接触したりという事は幸いにしてないわけだが、その存在自体は昔から世界中で示唆されている。
出会ったことがないから幽霊と呼ばれるものが死んだ人間の成れの果てかどうかもよく知らん。そんな事はどうでもいい。でもそれらしいものはいてもおかしくないんじゃないかなという気はしている。

そういうものが見えるか見えないかは伝統的に体質によると言われていて、そのせいで見えない人からはこれでもかって勢いで批判される。オレだって見えないし触れない。でも幽霊をいわゆるクオリアの一種だと考えれば十分理解できるんじゃないかとも思えるんだよね。

クオリアってのはアレだよ、自分が見ている「赤」という色は他人から見た「赤」と同じ色なんだろうかってアレだ。両者にとっての身体的な個人差というものがあるからお互いの見ている色を比較することができれば恐らく違う色で捉えているのかも知れないけど、個人差があるから日常生活には何も影響を及ぼさないないんですよ、と。そして両者の見ている大元の色、そのものの本質がクオリアである、と。クオリアは色だけじゃなく、ものの質感にしてもそうだし、痛みの感覚や匂いにも同様で、基本的に人の感覚で知覚できるものは全てクオリアだ。

この考え方をそのまま幽霊に当てはめるとするよ。つまりクオリアとしての幽霊は確かに存在はしているけども、それを観測する人はそれぞれ個人差があるから見え方に違いがあって、強くはっきり見える人、曖昧にぼんやりとしか見えない人、あるいは全く見えない人というのも当然あったりするんじゃないか。暴論に聞こえるけど、各人の差は主観的なものでしかないので比較はできないし、クオリアそのものを証明する手段もないから広げた風呂敷を畳む手段もないのよね。

人に知覚できない感覚、例えば超音波は、オシロスコープを使って波長として捉えることで人間にも認識可能なものになる。赤外線や紫外線もそれぞれ観測の方法がある。ウイルスのような人の目に見えないくらい小さなものでも顕微鏡を使えば見ることができる。人間は様々な機器を使うことで、自らの機能を拡張し、本来捉えることのできない世界を間接的に知ることができるようになったが、それは決してクオリアを知ったわけではなく、あくまでも対象を認識可能な状態に変換しただけだ。

この構図、何かに似てませんか。そうです。心霊写真に似てるんです。
本来そこに写っちゃいけないものが写っている、体の一部が移動してるなどなど、様々なパターンがあるけれど、共通するのは幽霊が見えない人にも等しくそれを見ることができてしまうという点。心霊写真を撮るための装置にはアナログ一眼レフやビデオカメラ、最近では監視カメラやケータイのカメラというのも挙げられているそうです。カメラに内蔵された何かしらの機構が幽霊を捉えるのに適している、というのは言うまでもないわな。それくらいの認識は、心霊写真を知っている人なら(それを信じる信じないに関わらず)当たり前に持っていると言ってもいいくらいの常識だと思う。

なのに純粋に幽霊を観測するためだけのカメラを研究する人がまるでいないというのは一体どういうことなんだろうか。あるのはせいぜい「幽霊があわられた時の磁場の乱れを観測する装置」だとか、ただ単に電磁波を幽霊と言い張ってる程度のものだ。幽霊は何かしらのエネルギー体だ、という主張からそういう装置を考案するんだろうが、そんなものに頼るより、これまで数々の実績をあげているカメラについて徹底的に研究する方が目的に到達するには一番の近道になるんじゃないかと思う。何故それをしないのか。この辺のおかしさこそ、テレビや心霊系の雑誌に胡散臭さを感じる最大の理由だ。ガチの奴がおらず、商売の匂いしかいしないんだ。そういう特集の怪しげな雰囲気を楽しむという面は別腹として大好物なんだが。

ガチで幽霊を研究するイカレポンチがいるならまずカメラを開発すべきだと思う。確実に幽霊を撮影できるカメラを開発しさえすれば幽霊の存在の信憑性どころか、その存在を証明する唯一の手段にだってなりかねないぞ。
宇宙に満ちるダークマターだって、存在を予言されてはいても観測すらできないものの存在を世界中の科学者が信じているんだから、幽霊の一つや二つさくっと撮影してみせてほしいもんだ。そんでもって幽霊の駆除方法を開発してくんねえかな。ゴーストバスターズはキリスト教専門っぽいし日本仕様の独自規格が欲しいところだね。

入間だか飯能だか知らんが辺境すぎんだろ 

卒制の模型用の素材を買いにホームセンターへ買い物に行った。
ところがそのホームセンターが微妙に遠い場所にあるせいでちょいとばかし面倒なことになった。なんせ入間だからな。所沢の奥地から入間の僻地へ移動するのに必要な交通機関を考えてみてほしい。そして行くだけならまだしも帰り道では自分の体よりも大きなものを持ち帰らなければならないんだからたまらない。

いやほんとにたまらないよ。トランプの兵隊じゃあるまいし、アホみたいにでかい発泡材をえっちらおっちら運ばなくちゃならないんだから。自前の車さえあればあっという間に済んでしまう用のはずなのに。
自転車で運ぶこともできないからメインの運搬方法は徒歩ですよ徒歩。だいたい入間とか行った事ないし。自衛隊基地があるってくらいしか聞いたことないってのに。

で、ホームセンターの最寄り駅、仏子駅を出てちょっと進むと目の前にこんな光景が広がりました。

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超いい眺め!すっきりと晴れ渡った秋空!遥かに臨む秩父連山!ザ・武蔵野!埼玉クソ田舎クオリティ!

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川の水も透明です。
散歩するには最高の日だね。

バスと電車を乗り継いで1時間半、更に歩くこと30分でようやくホームセンターに到着する。歩くのは好きだし初めての土地だから行きは何も問題ないとして、帰りの時間帯になると日が傾き始める影響で気温差から風が出始め、ただでさえ邪魔な荷物が輪をかけて運びづらくなるのよね。

想像以上に運びづらくてヒィヒィ言ってたところに、ちょうどよくバス停があったのでそこでバスを待つことにした。日に2本しかないバスのうち1本が数分後に来るという素晴らしいタイミング。珍しく自分の幸運に感謝したね。と思ったら時間になってもバスが来ねぇでやんの。それどころか対向車線のバスが来やがった。どういうことだよ。
それから発泡材を抱えながらその場で数分バスを待ち、全然来る気配がないので諦めて先に進むことにしたのね。その直後背後から凄い勢いで西武バスが追い抜いていきよった。もおおおおおお!なんだよこれ!これだから西武バスは信用ならねえ!一瞬でも運がいいとか思ったオレが馬鹿だったよ!

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この水色の物体を持ったまま電車乗ったり学バス乗ったりしたんだよ。週末の昼間だったおかげで電車も混み合わなかったのは幸いだった。めちゃめちゃ見られたけど。女子高生の集団がデケェとか言ってた。
サイズがサイズだからあちこち擦って教室にたどりついた頃にはボコボコになってました。手で掴んでたところなんか指の痕が残ったりしてて生々しいのなんのって。足より腕が痛くなったわ。筋肉痛が怖いな。往復4時間かけて得たものがこれかよ。

最近は男の顔の見分けも付かなくなってきた 

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近頃はすっかり流行の音楽というものに疎くなり、新聞のテレビ欄の横に掲載されていたこのバンドの広告も特に興味のわくものではなかったのだけど、この写真、何度も見返せば見返すほどメンバーの顔の見分けがつかなくなってきて、バンドそのものとは全然関係ないところで興味を持ってしまった。

パッと見れば確かにそれぞれ髪型も違うし顔の作りにも特徴があるはずなんだけど、全体の雰囲気が似ているというか、仮にこの4人が兄弟だと言われてもなんとなく納得できてしまいそうな気がするのはなんでなんだ。もちろんこの4人が似てるというのもオレの主観でしかないから異論もあるだろうが、今こうして見ているこの瞬間にもオレは4人の顔の見分けがつかなくなっていっているのは紛れもない事実だ。
普通、人が4人も集まれば顔の特徴なんてはっきり出るもんだろう。右下の人を基準にそれぞれ微妙にアレンジしましたって感じだ。鼻の形とか全員そっくりじゃねえか。

そうしてこの4人の顔を眺めて何分経っただろうか。ふと彼らから視線を下に向けると、シングル曲のタイトル「見つめていたい」の文字が・・・。
なんということだろう。彼らが曲に込めた思いを、オレは図らずも体現していたとでも言うのか。

無意味なものは意味のあるものと同等あるいはそれ以上に価値がある説 

「表現」などと呼ぶ以上、前提としてそれを伝える相手がいなければその行為自体意味をなさない。相手に何かを伝えようとする事=コミュニケーションなので、あらゆる表現活動の目的はコミュニケーションであり、それのみが意味のある行為ということになる。AからBへ何かを伝える時、AとBの間にあるのが表現で、意思の伝達の方法という事だ。言葉、文字、絵、音、金などなどコミュニケーションの手段というのは世の中にたくさんある。

じゃあ逆に無意味なものってのは具体的に何よ?と考えると、それはコミュニケーションが成立しないものを指す。突き詰めるなら、ハナから他人に観測できないもの、あるいは忘れ去られたもののいずれかなんじゃないか。自分以外の人間が見たり触ったり出来なければ(もっと言えば気配すら感じることが出来なければ)コミュニケーションなんてしようもないし、人の記憶から忘れられたものならば当然コミュニケーションの手段とはなり得ないので、過去にいかに実用的な用途があったとしても実質的には無意味なものと成り果ててしまう。

考えてみれば、この2パターンの範疇に含まれるものって実はとんでもなく多いんじゃねえの。
部屋を見渡してみれば、もはや自分の記憶から忘れ去られたものなんかいくらでもあるし、人にはとても見せられないものだって腐るほどある。いかに情熱を傾けて作ったものでも、コミュニケーションという場に出されないのであれば、表現にはなり得ず無意味なものになってしまう。そういう意味で無意味に終わったものってそれこそ無数にあるはずだ。しかもそれは時間経過と比例して絶え間なく生産され続けていて、誰もあずかり知らぬ所で蓄積されていく。

発掘されていない遺跡、家の天井裏、バッグのポケットの底、一週間前の夕飯のおかずなどなど・・・すべからく無意味よね。コミュニケーションとは完全に切り離されてる。どこかの誰かが何かしらの想いを込めて作った「何か」はどこにでも存在していて、情け容赦なく無意味なものへと変わっていく。

見ることも触れることもできず、誰も知らない無意味な「何か」が降り積もってこの世の大部分は形作られている。そう考えると無意味なものへの愛着も芽生えようってもんですよ。本来意味のあるものの逆説としてしか説明できない無意味の価値というものを、表現というフィールドであればまた別の視点からその価値を再確認できるというわけだ。

言ってしまえば歴史というものは無意味なものが積み重なった塊で、今現在意味のあるものと見なされているものはほとんど表面的な部分でしかないように思う。その意味のあるもののうち価値があると言われてるものってどれだけの割合であるのやら。そしてその価値も人が忘れてしまえば無意味になる。毎日当たり前に触れているあらゆる物が、ベラボーに刹那的な存在に思えてくるじゃないか。

「無意味とはなんぞや」という事を気にし初めて早数年。主観的に意味のあるものにしか価値を見出さない考え方が世間の主流なのは理解した上で、まるっきり無意味なものを主観的に捉えると同じくらいの価値を見出せる、と、ようやくその結論にたどり着いた次第でございます。


おやすみなさい。

今度のデート♡ DEAD or ALIVE !? 

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電車の自動ドアに貼ってある広告。なんの広告なんだかいまいち把握してないけど、ずっとこの写真が気になっていたのでとうとう撮影してしまった。

これの何が気になるのか。左側の写真に注目してもらいたい。
頬にビンタを食らったのか手の形に跡がついてしまっている。「今度のデート♡ DEAD or ALIVE !?」と書いてあるからきっと彼女か何かに殴られたんだろう。いや、何故殴られたかという事に興味はない。問題なのは、殴った人がどんな人なのかということだ。

写真を見ると、ちょうど人差し指の先が目尻の下辺りに来ているようだ。
試しに指先を目尻に当てるようにして自分の顔に手を当てて御覧なさい。すると手の付け根が顎の真下に来るはずだ。顔と手の大きさの比率ってのは平均的にそのようになっている。
男女の体格差というものを考えても、成人同士であれば手の大きさの違いなんてせいぜいあっても関節一つ分程度のものだろう。ではこの写真の手形を作った人物は一体どのような人なのだろうか。さて。

考えられる可能性は、
1、殴った人がすごく小柄な人である
2、殴られた人がものすごくでかい人である
3、頬の面積に収まるように作った掌型ハンコを自分の頬に捺している
4、子供に殴らせている

と、だいたい四通り考えられるわけだが・・・さて正解はどれなんだか。いずれにしてもなかなか不条理というかなんというか、シュールだったり犯罪だったりバリエーションも豊富だな。もうわけわかんないね。このレベルだと広告の内容を読み込むよりアラを探して想像力を働かせる方がよほど楽しいな。

雑記 

最近思いついた事とか色々書いておく。


・「あなたが落としたのは金の斧?普通の斧?それともア・タ・シ?」
「普通の斧です」

・「あなたが落としたのは金の斧?それとも普通の斧?」
「普通の斧・・・と答えたいところだが気が変わった。今はそれよりも落としたいものがある」
「えっ?」
「君さ」
「!」ドキッ
エンダアアアアアアアアアアアアアアアアア

・「ダジャレを言うのは誰じゃ!お前か!お前か!」
「いいえ・・・違いますけど・・・」
「違うか!違うのか!そうか・・・」

・ワキガ:臭気で敵全体にダメージを与える臭気系最大の呪文。

・高校の頃の英語の先生の言葉
「問題です。中国人が好きな色は何色でしょう」
首を傾げる生徒達
「正解は、赤です」
↑ガチ実話


卒制パネェ。
お母さんが腰を痛めててんやわんやしてる。我が家は年末が近づくとなにかしら起きるな。

人に音楽の趣味を話す時、それがどんなジャンルでもほとんどの場合「そんなの聴くなんて意外」と言われ、その事がずっと不服だったのだけど、それはそもそもオレが音楽を聴くタマに見えないからだという事が友人からの指摘により判明した。なるほどそういう事だったのか。

しかし逆に言えば音楽を聴いているように見えるってのはどんなだって話だよ。
ダボダボの服着てでかいラジカセ担ぎながら商店街を練り歩けばまず間違いなく今までのような誤解はされまい。まぁこれはこれで別の誤解を招きかねんが。そもそもヒップホップなんてよく分からないし。まぁいいよ。細けぇこたぁいいんだよ。

いきなりパンクすんなよおおおお 

自転車のタイヤに釘が刺さる確率ってどんなもんよ?畜生これで2度目だ。

ママチャリの細くて丸いゴムタイヤに、たまたま道端に落ちてた釘が刺さっちゃう意味が分からない。釘を下敷きにする過程で正確に体重をかけなければ刺さらないんじゃないか。アスファルトなんて長年の酷使によって微妙に凹凸がついているわけだし刺さりにくい条件が揃い踏みのように思える。

そもそも釘が先端を上に向けて立っている状態からして特殊だろ。工事現場でもない住宅地の道端にそんな釘が落ちている事がまずおかしいし、そしてそれをしっかり踏んじゃうオレもどうかしてる。

こんな条件が自然と満たされた事の方がよほど不思議だ。その不思議を23年の人生のうちに2度も経験した。結構な頻度と言えるんじゃないか。

こういう人間が一人でも存在するということは、全国規模で見渡せば似たような境遇の人がまだまだいると考えていいはずである。となると、これは不思議でもなんでもなくて、日常的に起こり得る当たり前の現象だということになる。

しかし不自然ではないか。偶然性が高いはずの現象がこうも頻繁に起きるとは考えにくい。むしろこの現象を引き起こしている“何か”の存在を示唆しているとは考えられないだろうか。

“何か”とは?その目的は?姿さえ見せない彼らの存在を感じられるのは、釘がタイヤを貫いたその瞬間だけだ。
善良な市民を混乱に陥れる邪悪で卑劣な意志だけが彼らの存在を不気味に主張している。

事態は一刻の猶予もない段階に入っている。我々は知らぬ間に監視され、その存在にすら気づかずに刈り取られ続ける運命にあるのだろうか。

偶然を装い、虎視眈々とママチャリのタイヤを狙う不気味な黒い影――。
次に狙われるのは、アナタかも知れない。



飽きた。
近所の自転車屋さんがなくなったのでパンク直しに行くのも億劫だなぁ。誰か早くパンクしないタイヤ作れよ。

悟りにチャレンジ♪ 

今さっき「仏陀再誕」を観終えました。

あえて自ら地雷を踏みにいったつもりが、あまりにも威力が高すぎて木っ端微塵に粉砕されたでござる。腹筋のトレーニングには最高だと思った。

帰宅したら感想書く。


追記
今夜は息が白くなるほど冷え込んでるから明日書くことにする。寒すぎだろう季節的に考えて。

思えば完全にお客さんとして芸祭に行ったのは初めてなんだな 

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芸祭の後に池袋の世界堂に行って考えなしに買ったマトリョーシカ。さて、こいつに何を描いてやろうか。関係ないけどマトリョーシカマトリョーシカ言ってたら「北極のムーシカミーシカ」って本を思い出した。小学生の頃大好きで何度も読んだ覚えがある。内容ほとんど覚えてないけど。

ほとんど一日中歩きっぱなしだったので正直疲れました。お昼ご飯に群れカレーと焼き鳥を買ったんだが、特に何も考えないで鳥皮だけ7本頼んだら油が胃に残って軽く気持ち悪くなり、更にその後に飲んだコーヒーとブレンドされて訳の分からない状態になった。その影響で日が暮れてからも胃がムカついていた。胃がムカつく感じを生まれて初めて感覚として理解した。家に帰ってから味噌汁飲んだら大分落ち着いたが。

しばらく会っていなかったノビとも会えたし、院生の2人とも久し振りに話せて面白かった。みんな色々考えてるんだなぁ。実に刺激になった。なんでも腹割って話せる仲間って本当に貴重なもんだね。同期の人はだいたい卒業して仕事をしてたりして、学生の頃とはそれぞれ事情が全く異なるけども、またみんなで集まって酒でも飲みながら朝まで語り明かしたいもんよの。上手くタイミングが合わないものだろうか。

明日は芸祭最終日。祝日なので混みあいそうだ。オタズムを買い忘れていたので明日買うことにする。あと文芸棟の古本市も覗いてみよう。

理論の鎧を着込むのだ 

意識して髪を伸ばし始めてから何ヶ月が経過しただろうか。

元来癖っ毛であるオレは、日常的にできる範囲で密かに髪のうねりと戦い続けてきた。しかしこの髪はその努力を嘲笑うかのように身をクネらせ、ますます増長(髪だけに)の一途を辿っている。

伸び始めの時期はCの字にカーブしていたのに、今ではS字を描くというアクロバティックぶりを遺憾なく発揮している。まったくヘアピンカーブとはよく言ったものだ(←うまい!)。

このままではいけない--。
なんとか方法があるなら対処したい。ご家庭でできる手軽な方法ではどれも納得できる効果が得られなかった。伸びればいずれ切ってしまうものに一時的な投資をするのも惜しい気がする。しかし…。

頭を抱えている間にも髪は伸び、癖は強くなり続けた。時間はいたずらに経過し、戸惑うオレを容赦なく置き去りにしていった。

そうして苦悩の日々を送っていたある日(つうかさっき)、一筋の希望となる疑問が沸き上がってきた。
C字の髪が伸びるとS字になった。では更に伸ばしたら次はどんな形になるのだろうか、と。

CからS。ジーニアス和英辞典によると、アルファベット順ではCから16文字目でSになるという。
Zの次はAに循環すると仮定し、この理論を応用すると、Sから16文字をカウントしていくとIになると推測される。
この「C→S→I」という変化は、髪の毛の長さに従った形態変化を表していると考えられるので、S字状態から伸ばし続ければいずれI字ヘアーに、つまりストレートヘアを手に入れることが可能になることを示している。

なんという事だろうか。癖毛を極めると労せずして髪の毛が真っ直ぐになるという結論が導き出されたではないか。
全国の癖毛に悩む人々に光明をもたらす新理論誕生の瞬間である。
この世紀の大発見を讃え、理論の名を「科学捜査班じゃない方のCSIの法則」と定める。

この理論でもう悩み無用。あなたの髪きっと伸びてくる(癖毛的な意味で)。


以上、おばあちゃん家からお送りしました。明日は芸祭に行くぞ。雨らしいけど行くぞ。

昼下がりのCDラジカセ解体 ~Week End Destroy~ 

タイトルでWeek Endとか書きながら編集に手間取って日を跨いでしまった!でも気にしない!

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姉が長年使っていたラジカセを捨てるなんて言い出したから、どうせ捨てるくらいならワイが引き取っちゃるで、ついでにイロんなとこ弄くりまわしたろかゲヘヘとばかりに半日かけて分解せしめたので、その一部始終をどうぞご覧くださいませ。
ぎょうさん可愛がってやるからのぉグフフ。あ、このノリ気持ち悪いな・・・。

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