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近況 

とんでもなく暑い季節になってまいりました。と言ってもまだ6月なんだけど。熊谷で39度8分だっけ?6月の観測史上最高気温だってんだから暑いわけだよ。

暑い暑い言ってばかりもいられないんですよ。学校じゃ節電しろってんで廊下は薄暗いし、地上3階の教室はようやく冷房をいれたところなんだよ。首に濡れタオルを巻いてシャツに汗染みを作りながらせっせと木を削ってますよ。

最近になってようやく物らしい物を作り始めたのでえらく楽しいです。ずっと刃物を研いだり鉋の調整をしたり平面を作るだけの作業を繰り返してきたので、木材を組んでちゃんとした立体物を作れる段階に入ったことが単純に嬉しい。何も考えずに作業に没頭できる。

やればやっただけ失敗するから悔しい思いもするけどそれも含めて楽しいです。成功したと思えることが本当に、何一つないんだけど不思議と楽しいんだよ。それに案外自分が負けず嫌いだということも発見できて一粒で二度美味しい気分。

上手い人の作った物を見て「すげー」とか思いながら同時に「この人にできてオレにできないってのはどういうことなんだよクソが」と本気で思うもの。なんの根拠もないのにすごい上から目線だよね。知ってる。
今までそういう気持ちになっても「他の人のことは気にしない。自分がよければ全てよし」で済ませてきたからこの心境の変化は割と大きいように思う。自分の気持ちをごまかさなくなっただけ人間的に多少はましになれてると思う。負けず嫌いだという自覚がなかった時より自覚のある今の方がよほど自分の感情をコントロールできてる感じがするわ。

ただ、人に対しては不遜な気持ちを抱いても、作る物に対しては謙虚な気持ちで向かわなけりゃならん。ちょっと油断すればまっすぐ切れないし、集中を欠けばノミを手に刺してしまう。自分が何もできないゴミクズ青二才だと自覚して、少しでも確実に制作できるよう細心の注意を払わないといけない。「これでいいや」とか「なんとかなるだろ」という驕った気持ちでいると十中八九失敗する。なんとかなるとか考えて、なんともなってない結果しか残ってねえじゃねえかよってね。

精神論でしかないんだけど、自分の未熟さを認めて謙虚に物と向かい合わないと望む結果なんかでやしないんだよ。いやほんとに。技術は学べても技能は自分で身につけるしかないかんな。あらゆる失敗のパターンをひたすら先読みして避け続ける作業よ。没頭もしますよ。

そこへ来て機械制作の快適性、確実性、スピードはまさに神。何も考えなくてもスイッチを押せば速攻で望んだ形になる。悩む必要なんかない。まったく、自尊心が肥大化するな。

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提出用課題が返ってきたので晒しちゃっても構わないだろう 

先日課題のために書いたものをせっかくだから晒してしまおうと思う。大したことは書いてないけど、ブログを時系列で追いかけると自分の考えの変遷をまとめ読みできて便利なので、そういった点から晒すことにした。
具体的な提案とか鋭い指摘とかないよ。個人的な心境の変化に適当な理屈をくっつけてとにかく悲観的にまとめた文章となっております。このブログでならおなじみだな。最後の段落を書きたかっただけなんだよ。
それと提出用だから一人称とか違うかんな。あくまでよそ行き用だかんな。な。


「私は大学時代に柳宗悦の思想に影響されていたのもあり、道具にはブランド力は必要ないと考えていた。
道具そのものの評価は、製作者が誰かということや、どれだけ手間暇かけて作られたかということではなく、生活の中で使用者が実際に道具を使う事によってなされるべきだと考えたからだ。

例えば、どこにでもありそうなデザインのポーチでも、隅に小さなロゴを入れるだけで値段が一気に跳ね上がる。そんな事は道具の価値を形骸化させるだけ無意味なはずなのに、生産者は付加価値を与えることに躍起で消費者はそれに嬉々として集まってくる。生産者と客との間で不毛な馴れ合いを続けているだけではないのかと感じてしまう。

この考え方は、それはそれで間違っているとは思っていない。しかし実際私が手にしているあらゆる製品は必ずどこかに企業名が入っており、それがない物を探すとなると百円ショップで売っているような安全性や衛生面で不安のある、中国産の安い物ばかりになってしまうのもまた事実である。あえてそういった物を選ぶとしたら、デメリットを安さで埋め合わせているだけだろう。

消費者としての立場からすれば安全で、便利で、見た目も良く、なにより安い物こそ欲しくなる。そしてそんなものは生産者の立場からしてみればとんでもない話なのだ。

生産者は、自分の作った物に自信があればこそ他との違いを主張しなければ生き残ることができない。生き残って金銭を得なければ良い物を作ることもできなくなる。では生き残るための手段が、独自性を打ち出す、ブランド化して価値を付与する、といった事であるならば、それを選ばない手はない。

木工製品は樹脂のような汎用性や金属のような強度もない。「木のぬくもり」「自然素材」などといった謳い文句がよく使われる事から分かるように、実用性と趣味性が半々の物と受け取られがちだ。売る方がそうしたイメージを打ち出しているためか、買う方も特別に興味のある人だけがわざわざ選んで買っていて、誰もが何気なく日常品として手に取っているとは言いにくい。

そういった現状から、広告を打つ、木工の良さを知ってもらえるような場を提供するといった、制作以外の活動が大きな意味を帯びてくる。木工製品に興味のない人に対していかにアピールするかが強く要求されているのではないか。それは生産地に啓蒙施設を作るだけでどうにかなるような簡単な問題ではないように私には思える。
どこの誰が作りどれだけの技術を注ぎ込んだのか、そしてそれらの品質を象徴するロゴ。実体のない物を嫌悪したところで、それらを実際に武器にしている産業に対抗する術などないのだ。

民芸運動で賞賛されたような、無名の職人による民衆的工芸品はもはや道具そのものの価値だけで生き残るのは難しいだろう。そもそも柳宗悦がそれらに美的価値を見出し広く世間に知らしめてしまった時点で、彼の言う本来の意味での道具の価値は失われてしまったとも言えるのだから。」

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