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「理性」と「本能」の違いを述べよ 

最近読んでいる本「無限の果てになにがあるか」。

すぐに読み終わるかと思いきや、数学的な内容に戸惑いながら通学中の限られた時間内で読まなきゃならないため、3分の2くらいまでしか読めてません。
文庫サイズなんだけども。「暴力論」は一時停止。

かなり噛み砕いて書いてあるから読みやすいっちゃ読みやすい。
オレみたいな数学嫌い人間は、多分3回くらい読まないと内容をしっかり理解できないと思う。

のらりくらりと読んでいても、「1+1=2」がどういうことであるかを証明したときには、何ともいえない快感を覚えたのは確か。
こいつは面白い。興味のある方は是非手にとってみてください。
新しい景色が望めますよ。

で、これを現在進行形で読んでいて思うことがあったので書き記そうと思う。
長文注意。暇つぶしにどうぞ。


オレは以前から理性は本能と似たようなものだと思っていた。
人間だけが獲得した生き残るための術だと。

そうと言うのも、人間は理性的に行動しているように見えても、最終的には何かしら欲のために行動しているのであって、純粋に理性だけで行動することはないと思ったから。

例えば巨大建築物を建てようとした時に前提として必要なのは、建材の強度を検討し、設計図や工具、人材を揃え、作業工程を熟知していなければならないということが挙げられる。
いや、きっとまだまだたくさん冷静に考えなきゃならないことがあるだろう。
立地条件とかね。

そうやって冷静(理性的)に様々な問題をクリアして、最終的に建物はできあがる。
ではそうやって理性的に作り上げられた建物がどういう目的のために存在するかといえば、結局「欲」を満たすためにあるわけで。

「理性」っていうのは「欲」をコントロールする手段なんだな。
「理性」が単独であるわけじゃなくて、常に「欲」とセット。

余談だけど、軍が通信用に開発したインターネットの技術が一般に下りてきたときに最初に利用されたのはバーチャルセックスのサービスだったそうです。
世の中欲望だらけですね。

「生きる」ことが本能的な感情である以上、「生きる」ために「欲」をコントロールする「理性」もまた本能である。
「理性」と「本能」は別々に語るようなものではない。

と、思ってました。「無限の果てになにがあるか」を読むまで。


細かい説明は面倒だから省略するけど、まずですね、「0」という数字をどう捉えるかが問題なんですよ。
数直線上のひとつの数と考えれば問題ないんだけど、「0」を「無」と考えてしまった場合、上記したオレみたいな考え方に陥ります。

もうなんていうか中学生の数学です。
負の数と負の数をかけると正の数になるのはもちろん知ってますよね。
知らない人は義務教育やりなおしてください。
「借金に借金をかけて何故利益になるのか」と考えてる人も中学からやりなおしてください。
逆に「利益に利益をかけることが何を意味するのか」と言えばその問いが如何に無意味かがわかるでしょう。

問題は数学を物に置き換えて考えてしまう部分にあります。
この本でも数学とは思惟的な学問であることをしつこく述べています。
社会問題も自然科学の問題も計算機で解決できるとは誰も思わないでしょ?

なんか話が見えないかと思いますけど、つまりオレが「理性」を「本能」と捉える根拠もあまりに物的な問題にのみ着目しすぎていて、肝心の精神世界に対して無頓着すぎだと言えると思うのです。

うん。
「理性」は「理性」だ。「欲」じゃない。

結局普通の考え方に落ち着いてしまった。
なんだこりゃ。

じゃあ「本能」と「理性」の違いは何?と訊かれると正直困る。

論理重視であれば理性的?
感情まかせなら本能的?
分からん。

ロジックのみで思考できるならそれは人間じゃなくて機械だ。
矛盾だらけで支離滅裂で曖昧で、そのくせ思い込みの強さと疑い深さにかけては天下一品。
そんな人間が果たして「理性」を知りえているのだろうか。

この本を読むにつれ見えてくるのは、簡潔で、無駄がなく、真実のみを語る数学の姿だ。
それを作ったのは人間だけど、決して無味乾燥としているわけではなく、ちゃんと人間的な感動や驚きがある。美しさがある。

「理性的」であるからという理由で「感情」を除いて考えていては一向に人間とは何かが見えてこない。

他人がいる場では知的なメガネ美女だが、帰宅したら意外とだらしない、という方が正直萌える。
人間だもの。
ギャップ、最高。

いやいや、違うよ。

じゃあ何か?
「欲」も「理性」もないまぜになって、混沌に向かっていってしまうのか?

う~~~~ん・・・?どうなんだろう・・・・。

そもそも「欲」と「理性」を切り離して考えること自体ナンセンスなのか?
それでは元のオレの考え方と大して変わらなくなっちゃうぞ。

結局なんだ?
「理性」も「欲」も人が得るべくして得た機能としか考えられないなぁ。


ああっ!違う!違うぞ!
「理性」から生まれたものに余計な価値はないじゃん!
答えのみしか提示しないじゃん!
その答えを人が勝手に「美しい」とか言ってるだけで、それそのものは何の感情も背負ってないよ!

なんだ。凡ミスだったわ。危ないところだった。


結論
「理性」は「理性」。「欲」は「欲」。
どちらも人間の性質だけど、それぞれ独立した性質であることは間違いなさそうだ。


「理性」と「感情」のバランス感覚が崩れた世の中です。
何が正しいのかは分からないけど、他人を受け入れる心は「理性」と「感情」のバランスを知らなければ出来上がりません。

今一度、それぞれがそのことについて考えなければならないのでは、と思います。

まぁオレは興味本位だけどね。


ダラダラした長文を読んでくれてありがとう。
お疲れ様でした。

おやすみなさぁい・・・。アデゥー。

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コメント

0って円形で素敵だよね。コレをゼロとしたことがまず凄い・・・!てこれは余談で

0をどう捉えるかはもちろん大事なんだけど、私は1をどうとらえるかもかなり重要だと思う。
1は定義しなければ存在しないんだよね、数学的には。例えば葡萄一房を1とした時と葡萄の実ひとつを1とした時では考えも答えも変ってしまう・・・
だから数学って基盤が曖昧で繊細。。この辺で博士の愛した数式を見る事をオススメしつつ
1の次に2、3、と成り立っていくわけだから、1は絶対な数であるけれども定義しないと見る事は出来ないんだよね・・・なんか言ってる事が絡まってきたけど
つまり、存在してる事はわかるのに見ようとしないと見えないっていうかね。
そのへんが来住さんの作品にはよく現れてて私は好きなんだよね。
と変な方向で締めようと思います。
長文失礼!寝不足だ~~★☆★

1の要素は0ってね。で、2の要素が0と1。読んでびっくりしたわ。
学校であんなん教わった覚えないよ。

博士の愛した数式、まだ読んでないし観てないや。機会を見て鑑賞するね。

それにしてもゆっぱさんは数学への愛が深いよね。
その情熱、放っておくにはもったいないから何かに活用してみたらいいよ。
やりようによっちゃイラストに昇華できるかも知れんし。

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