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ストッキングという肌 

最近のオレは黒ストッキングこそが至高だと思うのですよ。それもパンストね。
ニーソの魅力を重々承知した上で言いたい。

もうね、セーラー服に黒のストッキングっていう組み合わせだけで50㌔くらい軽く全力疾走できそうな勢いです。

なんでいきなりこんな事を思ったのか自分でもよく分かりません。何がスイッチになったのか皆目見当がつかない状態です。
こんなことになって一番困惑してるのは他でもないこのオレだ。正直不安でならない。自分が。

これからの季節時折見かけることになるであろうストッキング。
オレは一体ストッキングの何が好きなのかを少しでも明確にしておく必要がある。

まずストッキングをはく前の肌の色と、ストッキングの黒に注目したい。
ストッキングをはくことで、脚が本来あるべき色、つまり皮膚の色と全くかけ離れた色になるので、人はそこに一種の違和感を感じるようになる。

体の一部が不自然になっていると、人は無意識にそこに注目する。違和感を感知するわけだ。

その注目するという行為が、脚が本来持つフェティシズムを呼び起こし強調し、もともと備えていた魅力以上のパワーを手に入れることが可能になったのではないだろうか。
つまり虚構的であるからこそ「リアル」をイメージする余地ができ、それが自らの想像力との相乗効果を生みだしていると考えられる。

モノクロ写真がカラー写真よりも情感豊かに写って見えるというのと同じ理由で、一度現実から離れることで逆に現実の存在を大きく感じることができるようになるのだ。
また日本人の肌の色と黒という色には相当の落差がある点も気になるところだ。
モノトーンの持つシンプルでシック、そしてどことなくセクシーというイメージをそのまま投影できるのではないだろうか。

ストッキングの魅力を考える上で無視してはいけないのは透け具合だ。特にそれは間接部で顕著になる特徴があるが、この間接という部位が重要だ。
間接というものは人体の構造上なくてはならないポイントだ。造形的に言えば、間接が人体の美しさを底辺で支えていると言っても過言ではない。人体において各間接が与えるリズム感は自然が生んだ芸術作品なのだ。

膝を曲げた時にストッキングは、黒い繊維の下から白い肌の存在を微かに主張する。これはストッキングという物の材質上偶然引き起こされたものだろうが、この現象は偶然の産物というよりもむしろ運命的であったとさえ思う。
もしこの時透ける位置が脛や太股であったらこれほどの効果は生まれにくいはずだ。人の動きに合わせて微妙に変化する「肌感」こそストッキングの魅力の最たるところであるのはもはや説明不要だろう。。
人体とストッキングの動的な関係は、恵まれた出会いであったといえる。


冒頭で言ったようにオレはセーラー服とストッキングという組み合わせが好きだ。
この場合オレがもともと女子校生や女子中学生が好きだという基盤があったからこそ生まれた嗜好だと考えているのだが、このストッキングというものが彼女らを見る目にどのような影響を与えたのかはまだはっきりしない。
単純に考えれば「ストッキングが少女に色気をプラスした」というところに落ち着きそうだが果たして本当にそうだろうか。
少女に色気をプラスしたからといってそれがそのまま魅力が向上したことの理由付けになるだろうか。

中には校則で黒ストッキングをはくことを義務付けている学校もあると聞く。雪国では防寒の意味もあるそうだ。なんとも羨ましい話ではないか。(いや、あくまで素足の魅力も承知の上での発言ですよ)

不本意ながらもストッキングをはいてこなければならない娘もいるだろう。身だしなみが気になる年頃だ、色が気に入らないということだって十分ありえる。
それでもなお黒。黒のストッキング。その薄い皮膜の下に一体どんな想いを覆い隠しているというんだ。分からん。まったくもって分からん。


それにつけてもストッキングは良いものだ。これからの季節に過度に期待したい。

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