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人と人は本当に理解し合えないの? 

お互いの表面だけを認め合うごまかしではない、人と人との本当の理解ってなんだろう。

心というものを定義することができるだろうか。
いや、そもそも心の存在すら疑わしいと思う。
人を体と心とに分離して考えるのはナンセンスだ。脳が全ての意識の中枢とする考えも既に古く、情報を処理し指示を出すというシステムは全身に分布しているとする考え方もある。体そのものが思考しているんだ。
体なくして心は生まれ得ないんだ。じゃあ体と心の境界線ってどこにあるのかと。
自分の外側をハッキリさせることでしか自分の内側は見えてこない。心があると仮定した場合それしか心の形を知る手段がないように思う。

他人との共通認識や客観的な事実が自分の外側の世界を構成しているのなら、それ以外の主観的な漠然とした胸の内こそその人の本当の声なんじゃないか。それが心だろうか。
言葉にはできないけど間違いなく何かを感じている。その「何か」を知ることができるなら真の意味での相互理解も不可能じゃない。

なんていうんだろう。例えばモノに触れた感触をダイレクトに人に伝えられればいいんだよ。
人は言葉があるからこそ思考できるわけだけど、同時にどこまでも言葉に縛られているとも思う。
まぁ感覚的に生きたところでイコール漠然とした心を理解することができるとは限らないわけだけど、少なくとも全く別次元でのコミュニケーションの形を得られると思う。

狼少女になったところでそれに何の意味があるの?って感じだけどな。所詮夢次元の話だし。
ただ現状では自分の気持ちは誠心誠意色んな方法を使って伝えるしかないんだよな。相手の気持ちなんか結局自分で慎重に判断するのがベターっていう。

考え方のパターンが分かれば多少は相手のことを理解していることになるのだろうか。
そこまで辿り着くのにえらい時間はかかるだろうが、少なくともそれは「理解はできないがアナタを認めますよ」ってだけの関係とは一線を画す。それが今もっとも正解に近い形なんじゃなかろうか。
気分的には思考がパターン化してるなんて凄く嫌なんだけどね。でも実際そうなんだから認めざるをえないわけで。
要するに必要なのは洞察力ってことなのかな。それもなんか人情味に欠けるような気もする。

う~ん、なんだかますますツボに嵌ってしまった感が否めない。
こうまでして他人と理解し合いたいと思うこの気持ちは一体何なのかも気になるし。
どんだけコミュニケーションに固執する気だオレは。ああもうまたこんなところに行き着くのか。最近ちょっとオレおかしいかもな。ちゃんと健康的な生活しよう。


人に「理解してる」なんて軽々しく口にしちゃいけない風潮がはびこってる。かくいうオレも言っちゃいけないとは思ってる。だからこそ歯向かいたい。できるだけ自分の思考は一方向に囚われたくない。
根拠を挙げられないから何を言っても愚にもつかない感じになるのは仕方がないだろうよ。こういう繊細な部分に触れる話だからこそ「常識だ」とか言って思考停止させたらいかんと思うのです。
まぁ単なる天邪鬼根性なんだが。

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