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支離滅裂も大概に(ry 

昨日はオレの誕生日だったわけですが、そんな日に限ってチャリを盗まれるという目に遭う自分の運のなさが情けないです。何が悲しくって誕生日に交番の世話にならにゃならんのだ。
しかも今日になって「え?台風来てんの?」とか言ってるオレってマジでどうなのよ。今夜中にどっか行くってね台風。なんなんだ一体。

丸々20年を無事に過ごしてこれたことにまず感謝(多少のイレギュラーはあるが)。
記念に何かしようかと思ったけど、何かと締め切りがあるのでそうそう遊んでばかりもいられないという罠。
初音ミク人気にあやかって銀行ATMの機械音声の案内嬢を調べて色々比較でもしようかと思ったけどいまいちめんどくさいのでまたの機会にします。

歳を重ねたからといって特にこれと言った感慨があるわけではなく、まったくもっていつも通りな日を過ごしました。あまりにも普通すぎるから交番で「実は今日オレの誕生日なんですよ」なんて言葉が喉まで出掛かった。今思えば言わないでよかった。言う必要もまったくないし。そんなタイミングが少しでもあると思った自分が恥ずかしい。


こないだも書いたけど、やっぱり何も変わらないな。多少年齢を重ねたところで大した変化なんかないや。
なので唐突だが今日は「人見知り」という部分にスポットライトを当てたい。それは昔からオレを縛り続けているものだから。変化を拒む自分の根幹だから。

ちょっと思ったんだけど、人見知りのそもそもの原因は他人との接触を拒む自分にあるけど、その感情の向く先は二つに分かれると思う。
それは、他人を恐れ自分のテリトリーに入れたくないと思う心と、相手のテリトリー内に無遠慮に立ち入っていいのかという心だ。

人と繋がりを持つことは、自分が傷つくリスクを常に背負うことを意味する。
傷つくのが怖いから話さない。話さなければ何も変化しない。変化しなければ今の平安は保たれる。だから、近づかない。
他人が怖いというより自分可愛さに人を拒絶する。これぞまさしくATフィールド。絶対恐怖領域。

この「人の領域」という話は、例えば親しい人が他の誰かと喋っているときに間に割って入っていいのかという話と根は同じだと思う。

相手への配慮といえば聞こえはいいが、それは大抵の場合が詭弁だ。他人への恐れからくる気後れというのがより正解に近いと思う。どんなに親しくても、常にどこかで他人であることを意識している。それはたとえ家族であろうと同じことだ。
なんだってこんなに人が怖いのか、その理由はハッキリしない。
ただある一定のラインさえ超えれば振る舞いにぎこちなさがなくなることは確かで、それはその人への恐れが薄れたことを意味する。

相手が誰であろうと時間の経過とともに馴染んでしまえば別段問題ないわけだ。基本的なコミュニケーション能力が欠けているわけではなく、心の中では人とのつながりを欲しているのだ。
要は自らきっかけを作れない人が人見知りになってしまうということなのだろう。

自分の中に閉じこもろうとする心と、人と触れ合いたいと思う心。この相反する感情が複雑に絡み合い、人見知りというものを形作っているように思う。

これを本当に自分の感覚だけで言ってしまうと、閉じこもりたい心と人と触れ合いたい心はほとんど同じなんだよな。なんて表現したらいいのか分からないけど、理解できるはずのない他人というものを理解したいと思うのと似てるよ。
結局はないものねだりにすぎないんだ。自分の中に欠けてる何かをどこかに求めてるだけ。それを自分の想定外の存在である他者という恐ろしい存在を通した結果、人見知りというねじまがった形となって表面に現れてくる感じ。

そしてこれは今でも直る気配が全くありません。傷つくリスクを冒せない小心者ですけど、これからもどうぞよろしく。と、突然の挨拶をしてみる。


ああもう何言ってるのか分からないや。寝る。

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コメント

遅れましたが、誕生日おめでと~~ww

うんwありがとう~!タイムラグは気にしないよww

誕生日おめでトイス!!

返事遅れてごめん!ありがとう!テンキュー!

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