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クリエーターになりたい奴はこの記事を真摯に受け止めるべきだ。 

やっぱりコレは言っておかなくてはならない。

なんか敵を作りそうでコワいんだけど。

前からずっと機会があれば言いたかった。

なのでこの場を借りて主張させていただく。


音楽の事。本当はケリエイティブな活動全てに言える事なんだけど、ここでは音楽に限定して話させてもらいます。


オレはコピーされた音で音楽を楽しみたいとは思わない。

MDとかMP3とかHDD搭載型だとかの音響機器を使いたいとは思わない。

MP3なんかの自由度の高いデザイン性に関しては興味あるけど。

音楽は言うまでもなくミュージシャンが作り上げた作品である。

リスナーはその作品を聴いて楽しむ。

ミュージシャン(制作者)はその作品に対しての「評価」と「責任」を問われる。

これが正しい姿だ。

今の、リスナーが作品を好き勝手にコピーしているという現状は、制作者の「責任」をないがしろにしてはいまいか。

制作者の意図する姿のままの状態(CD、レコード、カセットテープなど)こそがその作品の真の姿であり、一度リスナーの手によってコピーされると、それは元のモノとは全くの別物になってしまうのだ。

大事なのはそこで、「制作者の意図しない状態」に作品が変化してしまった場合、それは音楽などではなく全く得体の知れないものになる。そんなものを聴いて何が楽しい?

音楽を自らコピーして聴いている人達は一体「何を」聴いているのだ?

聴きたいのは「作品」だろう。

それを何故コピーして聴こうとするのだろう。

それは結局「よくできたニセモノ」でしかないのだ。
作品ではない。


音楽とは、人が聞き取る事のできる狭い範囲の音に音階という秩序を与え、それを用いて人に心地いい音、響く音を作り上げていく作業の事だ。

それはいわば「音のデザイン」である。

音と人との関係を繋ぐ架け橋だ。

音を人と結びつけ、血とし肉とする。音楽は人の身体から生まれるのだ。そしてそれは人の身体からしか生まれ得ない。

送り手の人間の身体から生まれた音楽は、現代では様々な方法で受け手の人間に届けられている。その方法は送り手側の意図に従い決定される。送り手は自分の音を「責任」を持って世に送り出す。

「製品」には「モノ」としての価値以上に、「人」が「責任」を持って作り上げたという「プライド」が込められている。

それを、受け手の人間がコピーしてしまう事で「プライド」が分離され単なる「モノ」に成り下がってしまう。

制作者の手の届く範囲から外れた作品はもはや作品とは呼べない。「魂」が抜け落ちてしまっているんだ。


CDなどの媒体以上に音楽が「本物」になるのは、直接の演奏である事は間違いない。それこそがリアルな「音楽」だ。

それに、ただでさえ売り出す時の音はマスター音源よりも劣った音質になってしまっているのに、さらにわざわざ自分の手でそこから遠ざけようとするとは随分おかしな話だ。

だからこそオレにはできない。今のオレには音楽をコピーするというのは有り得ない。

中学の頃から5年間MDを使い続け、一年ほど前に「コピーする事の空しさ」に気付いて以来オレはCDプレイヤーのみで音楽を聴いている。

だからそれまで聴いていたMDにしか入っていない曲は、このところサッパリ聴いていない。ビョークもダフトパンクもレディオヘッドもエゴラッピンもアヴリルも全部だ。これは正直かなり寂しい。

でも、自分の信条に従って行動できてる事には胸を張っていたい。だから後悔はしていない。


だからこそここで言う。言ったやった。この記事で、誰か不快な思いをした人がいるならば遠慮なく文句を言って欲しい。それこそが、オレがこのブログに対して果たせる唯一の責任だ。


それからついでだからもう一つ付け加えておきます。

オレはデジタル否定派ではない。

何か勘違いしてそう思う人がいるかもしれないから言っておく。

オレにとって「手段」はさほど大した問題じゃない。

大切なのは「何を作っているか」であり、「やり方」なんかではないのだ。

「どうやって」とか「どのくらい苦労して」だけで評価されるなら、それは単なる「夏休みの宿題」でしかないと思う。

「大作」と「傑作」はイコールじゃないんだ。

以上。


こんなとこです。

明日は「萌えドル」について熱く語りたいと思います。それでは。

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