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公的空間と私的空間の境界線はどこにあるのか 

どうもここのところ公私の境界が分からん。

昨日の話なんだけど、誕生日だかなんだか知らんが学校の食堂で鍋パーティを始めたバカがおりまして、それを間近で見ていたオレはむしょうに腹が立ってしまったわけで。

もうなんていうんだろうな。自宅でやれよ、と。食堂は公共の場じゃないんかい、と。

他人の領域をどこまで認め、自分の領域をどの程度まで広げることを認めるか。そこんところをキッチリ考えておかないと偉そうに怒ることもできないので気に留めておこうと思う。
公共物は「みんなの物」であると同時に「自分の物」でもある、だから自由に振舞っていい、という理屈はおかしいということを自分は説明できるだろうか。


なんだろうな、公共の場だろうと人と話すのは別に許されることなんだよな。
他人の領域を侵さなければ何を話していようが問題ないんだ。
でも人の会話を邪魔するくらい大きな声で会話してれば怒られて当然。じゃあただ話してるのと何が違うのかと。そういうことだよね。
喧嘩してる人がいきなり関係のない第3者に殴りかかるようなもんだ。それはただの頭のおかしい人か。


人の身になって考えるというのも限界がある。要は想像力だ。「こんなことをしたら嫌がる人がいるだろう」と想像できるか否かが分かれ目になるんじゃないかな。

常識という言葉は嫌いなのでそんなことを言う気はないけども、共通認識として最低限持ち合わせているはずの知識や考えをいちいち人に確認しないでも自分で気付けるようになるために義務教育って制度があるんだと思う。
「そんなこと習ってないから分からない」なんてセリフをよく聞くが、それは自分で解決すべき問題を人に押し付けている点で公共物を私物と勘違いしてる事と同じだ。とんだ横暴だよ。


まぁ結局やってる人にとっちゃ無意識にやってることだから言われなきゃ絶対分からないんだよな。無意識のうちに行使される悪意ってのも厄介だな。本人はそれが間違っていることだとは気付いていないんだもの。

あ~でもそれを「間違っている」と断定する側の価値観を押し付ける形になるのもおかしな話だな。オレの正しさを誰が証明してくれるのかと。
つまりはアレだ。大多数が勝つってことか。多数派が勝って少数派が殺されるわけだ。「常識」形成の仕組みと同じだ。なんという秩序。


昔から人の嫌がることはするなという。自己防衛の裏返しだ。自分が傷つきたくないから人も傷つけない。秩序の基本です。それでも他人への異議申し立てが絶えないのはそれぞれ価値観が違う人間が集まっているのだから当然の結果だ。
集団の中にあって、決まりごとを守ることで皆が平和に過ごせるならそれは自分のためにも守るべきものなんじゃないか。

ああもうよく分からないや。あっちを立てればこっちが立たずってことにしかならんわ。
KYだなんて小難しい言葉が流行ってるけど、そもそもその言葉を使う資格をもつ人間がこの世にいるのかよ、と思う。

最終的には誰にも公共物と自分との境界線なんて分からないんじゃないか。曖昧なままなぁなぁにしてなんとなく「それらしいライン」を引いているだけなのではないか。無言のままお互いに探り合い、他人の領域を侵すまいと努力する。
少なくともその努力を惜しむ人に公共物を使う資格はない、な。うん。少数派が生き辛いようにこの国はできてるんだぜ。

もっと端的に言えば、オレは奥ゆかしい女性の方が好きだ。不器用で無骨な武士のような男に憧れるわ。日本的にいこう。それで万事OKじゃね?

それにしても「それらしいライン」ってのが他にも色々ありそうな予感がする。厳密なラインを定めぬまま無意識になんとなくやり過ごしていることが。
ちょっと考えてみる事にしようか。


ところで全然関係ないけどニコニコでドラゴンボールの動画見てたらビーデルの魅力に気付けました。すんげーかあいい。
ぶかぶかのTシャツにスパッツとか。声優の力も相まってとんでもない破壊力も持ってる。もう髪長くても切った後でもどっちでも良いです。かわいいからいいです。

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コメント

え・・・・・・何この暗号文・・・。

84、377、139。

この3つの数字が意味するものは一体・・・?

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