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少しずつ全体的な思考になっていく自分を、忌避する自分と受け入れる自分と 

ゴールデンウィーク真っ只中ですね。
世間じゃ真夏日だとか寝ぼけたこと言ってますよ。まだ5月だっつうの。外がどんだけ暑いかなんて知ったこっちゃないわ。

こどもの日も近いことだし「このロリコンどもめ!」で有名なバックベアード様のハンコでも作ろうかと思ったけど、参考に拾ってきた画像を一瞬見ただけで断念しました。水木先生本気すぎ。
一応今回は石じゃなくてプラ板の積層なのでパテでいくらでも修正可能です。便利便利。


漫画の原稿を描かなきゃってときに、オレの場合ネタを搾り出す作業があるわけだけど、その度に自分をいちいち掘り下げようとしている自分がいて、いらぬ事を思考しなきゃならない事が煩わしく感じます。
結局自分の事しか描け(書け)ないのでそれは仕方がないのだけど、こう毎回じゃ気が滅入る。

もうちょっと気軽に何かを描けたらいいなぁと思う今日この頃です。例えばラクガキとかハンコみたいにね。
じゃあいっそラクガキでよくね?と開き直ってみるだけの度胸もなく、結局ただ半端に主張したいだけの自己満足的な惨めな結果のみが残る。

このブログでも度々書いていることではあるのだけど、オレは記号的で単純な感情移入というものが嫌いで、それに踊らされたくないがために自己防衛しているようなものなのだけど、それは結局「自分がくだらないと思っているモノと同じに見られたくない」という程度の子供っぽい意地で、その意地を通そうとすると、逆にそれ以上のものを感じるだけの感性・知識・経験の欠如を自ら露呈する結果に終わってしまうのがなんとも言えず悔しくてね。

そういうのもある程度は自覚してるつもりなんだけどな。
それとは別に、感情移入こそが全ての表現の根源的な要素であるのを知っていて、それでもなお感情移入を否定したい自分も認めてあげたいと思ってるのね。
もうオレはずっとその事しか考えてないような気さえする。

で、前ちょっと考えた。
それは「他者を絶対的に拒絶するアートというのは可能か」ということなんだけど、それがどうも不可能臭いと。割とアッサリ結論に至ってしまった。

例えどんなに無意味(に見える)なものを用意したところで、人は意味を持たないものを基本的には認めないし、仮に「そういうもの」として無意味なものを認めたとしても、それは「無意味」という新たな価値を与えられたにすぎず、結局それはそれで「有意義」ということになってしまう。その時点で許容されちゃってんよ。

全ての存在に意味がある、というより、全ての存在は意味を与えられる、というのが正しいか。
存在不能なものは存在しない。トートロジーか。

そもそも絶対的な拒絶を目的とした表現なんてものは存在理由そのものがない。
基本的に相容れないと言われているアートとデザインに唯一共通項があるとすれば、それは「他者」の存在であり、それなしにはそもそも「表現」というものが生まれていないんだ。
その「表現」を形作っているものの一つに「共感」がある以上、そこから離れることは不可能だ。不可能なんだ。(大切な事なので2かry)


何かを表現しようとしている人が何を考えているのかは知らない。
その人が描きたいモノを衝動のおもむくままに描いたモノにこそ鬼が宿るのも分かってる。
ただその表現に他者はいるのかと。やりたい事をガムシャラに突き進む旺盛な貫通力は一度わきに退けておいて、そもそもそれは誰に向けた表現で何のために描いているのかと自問自答すべきなんじゃないか。
いや、全ての表現者にそうなってもらっちゃそれはそれでマズイんだが。
少なくともオレは自分一人でいるよりも他者のいる世界の方がいい。この場合「鋭さ」ってのは二の次だな。

今までは自分だけよければそれでよかったのだけど、最近はこんなことを考えるようになった。なってしまった。良いと捉えるか悪いと捉えるかは今は判断しない事にする。

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