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事実とイメージは別物なようです 

昨日電車の中でこんな光景を見た。
優先席に座っていた若い男がおもむろにケータイを弄り出すと、向かいの席に座っていたおばあさんが「ここではケータイは凶器になるから遠慮してね」とケータイを使うことを控えるように言っていたのだ。

まぁ確かに優先席の前の窓ガラスにはケータイの電源を切ることを促す表示があるけども、オレはちょっとここで待ったをかけたい。

電車内でのケータイ使用の是非については数年前に各メディアで熱い論争が交わされたと記憶している。
ケータイから発せられる電波がペースメイカーの動作に影響するという説に端を発した議論だったと思う。

その議論が収束の兆しを見せ始めた頃に(オレ主観)、「ケータイを胸に押し付けでもしない限りペースメイカーが影響を受けることはない」とする実験結果が出た。これは新聞にも載ったりしていたのでよく覚えている。

それでも事故の起こりうる可能性が完全に消えたわけではないからその後車内に例の「ケータイの電源はお切りください」というインフォメーションが掲示されることとなったわけだけど、冒頭で書いたおばあさんの発言はおそらくそこに至るまでの過程をすっ飛ばして「ケータイの電波はペースメイカーに悪影響がある」という部分だけを信じていたに違いない。

どこかで聞きかじった知識と、それを後押しするかのような掲示も手伝ってそういう行動に出たのだろうが、おそらくそれはおばあさんの正義であり、それ自体は誰にも批判される筋合いのものではないのだろう。

しかし実際に起こりうる事態とおばあさんが信じている情報の間には大きな隔たりがある。
それは彼女が単に間違った情報を信じているということと、車内掲示そのものから引き出されるイメージが世間一般の共通認識において「悪である」と刷り込まれていることから生まれた落差があるということである。

これはこの事だけではない。
ちょっと周囲を見渡すと、「実際にはさほど害はないのだけど、世間的に悪い印象がある」ものはできるだけ排除しようとする傾向があちこちにあることに気付く。

例えばそれは放送禁止用語というものにも現れている。
本来「禁止用語リスト」のようなものは存在しない。各放送局が公俗良序に反する内容の言葉などを判断し、「自粛」しているものを一般的に「禁止」と呼んでいるだけらしい。
それは他人の権利やプライバシーを守り可能な限り配慮するという大義名分から来ているようだ。
要はモラルという社会的なバランス感覚、「常識」という名のより大多数の人間の共通認識を反映した結果が「放送禁止(自粛)用語」というものを作っている。

しかしおそらく大多数の人間はそのことを知らない。
そういう者は何の疑いもなく「禁止されているものだ」と考え、「禁止用語リスト」の存在を信じているだろう。
彼らの考える「禁止されている理由」は上記した「自粛している理由」となんら違いはない。
しかし最終的にはじき出された結果が「禁止」と「自粛」とでは雲泥の差がある。

本来「自粛」という範囲に留まっていたものが、モラルに反するという印象だけが一人歩きして、一般大衆に「禁止」というイメージを抱かせている。
問題なのはそのイメージだ。イメージだけで物事を判断していて、しかもそれが一般論になっている。
これは事実と実態が食い違っているという意味で非常に危険な落とし穴になっているのではないか。

また別の例を挙げよう。
児童ポルノ法改正を巡り現在進行形で議論が巻き起こっているが、ここでも近い将来似たような事が起きる可能性がある。

現状では児ポ法の議論は主にネット上でしかなされていないが、仮にこの動きが一般に浸透し、より多くの意見が反映された結果全ての議論が白紙に戻ったとしよう。

が、人々の間に「ひょっとしたらこういうことってやっちゃいけないんじゃないか」というような気まずさや誰にとも知れない配慮(顔色を窺う)の心が生まれた時に、実質的な害がないにも関わらず自粛しようという動きが生まれる可能性がある。

そうすると、実際には法的な拘束力がないにも関わらず、出版社や本屋はそういう類の商品をできるだけ見えにくい位置に置こうと考えるだろう。世間の目が直接的にゾーニングを一方的に推し進めるばかりか、そうした商品を駆逐してしまう恐れもある。

ドイツでは児童ポルノの単純所持が禁止になっているそうだが、その結果以下のようなことが起きているそうだ。

>ドイツで暮らしたという日本人に会ったことがある。自分の子どものお風呂上がりの写真を持っていたら、ドイツ人に、「危ないから、持つのはやめろ。」とアドバイスをされ、びっくりしたと聞かされた。

参照:福島みずきのどきどき日記

これは法に基づいた認識が民衆に行き渡っているため起きた出来事だが、法のような実質的な拘束力のない場面でも「悪いイメージ」だけで同じことが起こりうる可能性は否定できない。
なにより日本人は他人の顔色を窺ったり長いものに巻かれるのが大好きな民族であるから、なおさらその危険がある。
つまり児ポ法改正云々の議論がなされるなら、より多くの人が正しい知識と認識が共有されるようにしなければならない。まぁこれは何に関しても同じことなのだが。

今では公共の場でのケータイマナーは一般的にある程度定着していると思う。マナーを守るのは素晴らしいことだ。
しかしマナーを盲目的に信じるのではなく、そのマナーの生まれた理由を考えるだけでもより良い形で周囲に配慮できるようになるはずだ。
一般的なイメージに踊らされることなく、少なくとも自分だけでも己を保っていたいと思う(できればより多くの人がそうであってほしい)。

ただ昨日のおばあさんに関して言うと、あの場でおばあさんの間違いを指摘すべきかどうかという別の問題が出てくる。

彼女は彼女の正義があって、しかもそれは根本的なイメージレベルにまで心身に染み渡った堅い信念であろうから、それを安易に否定する権利が果たしてオレにあるだろうか。

逆にいえばこうして朝っぱらから長々と述べてきたことだってオレの正義でしかないわけで、双方の正しさをぶつけ合うという不毛な争いに身を投じる覚悟がオレにあるのかと。
更に言うならオレが相手にしているのはおばあさん一人だけでなく、おばあさんと同じ認識をもった数多くの一般人全てということになる。いくらなんでもこれはちょっと勝てる気がしない。

(事実よりもイメージこそが実態を作ることができる、というのはひょっとしたら将来役に立つかも知れないのでそれはそれで覚えておくことにする。)


あと本文と関係ないけどちょっとラクガキ。
妊婦ほか
なんか最近妊婦のフォルムに心惹かれる。
可愛いという感情とも違う、何かこう佇まいから神々しささえ感じる。何がそう感じさせるのだろう。

ちょっと高校の生物を勉強しなおそうと思う。命について今一度熟考する機会が欲しい。願わくばそこから更に進んだ知識が欲しい。

今「ブルックスの知能ロボット論」という本を読んでいるのだけど、こういうのを読んでいると素人ながらに人間について考えてしまう。
人ってつくづく不思議で面白い存在だな、と思う。人や命の仕組みをもっと知りたい。

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コメント

相変わらず、考えさせられました。
色んな人に見せたいですよ、こういうブログを。

右上2番目が可愛過ぎる。

ありがとうw
そう言ってもらえると素直に嬉しいのでもっと言ってください喜びます。

お久しぶりにコメントします。
ここまで真面目に書いておいて、最後に妊婦を持ってくるあたりさすがスズタケといったところ。

優先席でのケータイの使用については、もう一度考え直す必要があるんじゃないかなぁと思います。

考え直すべきなんだよなぁ。正しい認識をなるべくたくさんの人にもってほしい。
マナーはマナーとしてあるべきだけどこの場合根拠不足だ。

啓蒙活動が不十分な状態がずっと続いてて、それについて誰もツッコミを入れようとしてないってのは大変な事だと思う。


それから妊婦が好きっていうと誤解されるかもだけど、別に孕ませる系のエロ漫画が好きなわけじゃないよ。
むしろそういうジャンルは嫌いです。もっとこう、エロはまったりとしてる方がry

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